誤配
それを書いた時点では、思いも寄らなかった結果を引き寄せること
哲学者の東浩紀さんの言葉
ノートを書くことは自分の人生に誤配を生じさせること
コミュニケーションでは「誤配」が大事だということを言います。自分のメッセージが本来は伝わるべきでないひとにまちがって伝わってしまうこと、ほんとうなら知らないでもよかったことをたまたま知ってしまうこと。そういう「事故」は現代ではリスクやノイズと捉えられがちですが、ぼくは逆の考えかたをします。そのような事故=誤配こそがイノベーションやクリエーションの源だと思うのです。
その「関係ない」ものこそがスクールの本質を支えている。だから飲み会の開催は妨げない。つまりゲンロンは飲み会に対して、責任があるようなないような中途半端な立場を取っている。まさにそのような中途半端さこそが、いまの大学では保てなくなっているものだと思います。ほんとうは大学の先生だって、教育にとって大事なのは講義だけじゃなく、生徒が飲み食いしながら親密なコミュニティをつくることだというのはわかっているはずです。けれども、いまの大学ではそういう親密さはリスクだと考えられている。トラブルが起きたときに、すべて大学の問題として対応せざるをえなくなっていますから。
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想定内 想定外
不運
とおもったが、この分け方だと誤配もセレンディピティと同じカテゴリだな
セレンディピティはAを探索してるときに良いBが見つかること
誤配はAの目的で交流してるときに良いBが生まれること?
交流とは非同期なものも含む