テクスト論
知恵蔵「テクスト論」
文章を作者の意図に支配されたものと見るのではなく、あくまでも文章それ自体として読むべきだとする思想のことをいう。文章はいったん書かれれば、作者自身との連関を断たれた自律的なもの(テクスト)となり、多様な読まれ方を許すようになる。これは悪いことではなく積極的な意味をもつのであり、文章を読む際に、常にそれを支配しているであろう「作者の意図」を想定し、それを言い当てようとするほうが不自然であるとする。
ロラン・バルトは『作品からテクストへ』(1971)で作者に関連づけられた「作品」という用語に対して中立な用語として「テクスト」を位置付けた
このテクスト論はフランスの哲学者ロラン・バルトが50年程前に「作品は作者の意図ではなく受け取った者の解釈で判断しよう」と作者という存在から作品を解放した「テクスト」の概念を主張し、それによって「作者の死」を提唱したものである。
黎明期のインターネットはテクスト論的だったと考察している
衰退の原因として「ネットも現実と同じように有名人の発言が重要視されるようになってきた」ことと「その一貫性(テクスト+テキスト主)が攻撃対象になってきた」ことを挙げている?
「テクスト論」はしばしば「読者論」ともいわれる立場で、文学の一つの大きなパラダイムです。
文学を研究する人々の間では、ある作品を解釈する際に正しい解釈があるはずだ、という考え方が疑われない時代がありました。それは「作品論・作家論」と呼ばれる立場を指します。この立場はある作品を生み出した作者が正しい解釈を握っているという考え方です。
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テクスト論自体は文学の話だけども
僕は仕事でもこの捉え方だなぁ
「大事なのは人ではなくて情報だ」「情報を出そうぜ書こうぜ」「人との交流は程々でええやん」「何ならなくてええやん」「情報のやり取りをもってコミュニケーションしようや」みたいな
作者情報が大事なら「コンテキスト」というテクストを書き足せばいいのである