Scrapboxではどこに何を書くかを探すこと自体がおかしい説
Scrapboxに書き込む際、newとeditがある
new …… ページを新規する
edit …… 既存ページを編集する
edit先ページとeditするものの状態には以下バリエーションがある
table:variation
edit先ページ editするもの どういうこと?
わかってる わかってる yy。ページAにこれ書きたいってのが決まっている(のでAにたどり着いて書けばok)
わかってる わからない yn。ページAに何か書きたいってのが決まってる(のでAにたどり着けばいいが、何書けばいいかはまだ)
わからない わかってる ny。書きたいものはわかっているが、どこに書けばいいかがわからない(新規するかAに相当するページを探す必要アリ)
わからない わからない nn。どこに何書きたいかがわからないので、projectを巡って何かひらめくのを待つ
このnnのケース(わからない/わからない)って、もしかしてScrapboxの哲学ではない?
とふと思ったsta.icon
nnは自然ではない
言うなれば「どこに何書こうかな~」と探している
脳内のコンテキストを無視している
上手く言えないのだけど、Scrapboxはそうじゃない気が少ししている
「自分が自然に書き足せること」も一条件ではないか
つまり、単に未完成のテキストを放り込むだけではダメ
今のsta.iconはnnが多いんだけど、これって「自然に書き足せないことを貯めている」だけでは感
未完成だから生きてると思いがちだが、自然に書き足せない(リーチできない=世話できない)から死んでるも同じ
だとしたらさ、「"自然に書き足せるものの集合" の大きさ」という能力は、Scrapboxの才能と言える?
僕は小さいと思ってる
だからnnばっか起きてるんだよ……
凹む
sta.iconいや、ジャンル次第じゃね?
これをたとえば「tritask開発project」にすれば、自然に書き足せる率も増えてくる
sta.icon*2としたら、Scrapboxで生きたテキストを飼うためには、project内で扱う話題のボリュームを落とすことも大事だと言える……?