第6章 理論と実践(1)対話のもつ可能性
対話という言葉は、昨今のビジネス界隈ではバズワード化しつつあるように感じます。ハウツーとして対話を捉えてしまうと、苦行のような1on1が職場で展開されるというなかなか辛いことも起きているようです。本章では、なぜ対話って重要なの?というそもそも論について、社会構成主義に基づく濃厚な解説が為されています。
意味は関係の中から生成される
これまでの章でガーゲンが述べてきたように、相手の唯一の真意を知ろうとするという行為は、心を前提にして、相手の心の中にあるものを、自分の心によって正しく理解しようとするというパラダイムに基づくものです。もちろん、こうした考え方が100%誤っているというつもりはありませんが、果たしてどれほど現実において当てはまるのでしょうか、と著者は警鐘を鳴らします。
私が捉えようとする意味は、個人に閉じたものではなく、他者との関係の中から生み出されるものであると社会構成主義では捉えます。自分自身が何らかの言動を取り、それを他者が受け取って言動を返してくるという補完的な行為によって、そこで何らかの意味が生じると考えるのです。
人と人との関係性は変わりますし、言動も一回のやり取りだけではなくその後も継続したり、新たな人が関係の中に入ってくるということが現実には起こります。したがって、ある時点で有していた意味性は次の時点には何らかの変更が加わります。つまり、私たちが創り出す意味は絶えざる改訂のプロセスの中にあるというわけです。
言語と対話の重要性
関係の中で意味を創り出し続けるというプロセスから捉えてみると、言語の重要性に気づくことになるでしょう。通常のコミュニケーションを考えれば、何らかの形で言語が役割を果たすことがほとんどであり、言語という存在が意味生成に大きな影響を与えます。
言語のやりとりでは、双方向的でオープンな関係性に基づく対話が果たす役割が大きいと本書では捉えられています。対話によって、行動の補完や意味の生成と更新が促されるということはイメージしやすいでしょう。
さらに、対話の際のポイントとしてストーリーを語るという自己表出が、変化力があり柔軟な対話にとって望ましいと著者は踏み込んで述べています。社会構成主義におけるこうした対話の重視が、ナラティヴ・アプローチへと影響を与えていると言えそうです。