第4章 関係のシナリオで対話(現実)を変える
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第4章 関係としてある身体
第3章では、「私の心の中」の出来事なんていうものは無く、個人の心の中の出来事と思われていたこともあくまで「関係」によってできているということが解説されていました。
続く第4章では、感情・快楽・苦痛も同様に「関係」によってできている、協応行為であるということが、多様な角度から解説されています。そして、第4章で、第1部「境界画定的存在から関係規定的存在へ」が終了となります。
📕感情・快楽・苦痛も「関係」って?
例えば、我が家の上の子は注射がとても苦手で、私(母)と行くと部屋から脱出を試みるほど大泣きで恐怖に震えているのですが、お父さんと行くと案外あっさりして「痛いけど頑張ったよ!」と全く態度が違うということがありました。
これも、「痛み(上記でいう苦痛に分類)」は一律に同じ反応が個人の中で起こっているのではなく、あくまで関係性で変わる(母といくと甘えまくってるのか、父といくと我慢してるのか……捉え方は様々ですが)ということかなあと思いました。
また、読書会で話題に出てたのは、「綺麗だね!」と言われても、それを言ってくる相手によって嬉しい!と思ったり、「はぁ?!」って怒ったりする=協応行為によって感情が変わる=関係で変わるよねということでした。(いわゆる「ただしイケメンに限る」もそうだよね〜と)
📕関係のシナリオ
ここまでの章のまとめの様な形で、「関係のシナリオ」という考え方が提示されています。協応行為をシナリオと捉えて、メタ認知するイメージです。
私が一番共感したのは、「怒り」への対処について。相手から怒りをぶつけられた時に、普段の私はすぐ怒りという協応行為をしてしまうのですが、別にそれに乗らなくてOK!というのが斬新でした。
怒りのシナリオパターンは次の通りです。
相手が怒りを示した時に、自分ができるパターンは大きく分けて3つ(謝罪・再構成・いらだし)、自分の反応によって相手の反応が変わってくる=相手のその後の反応は自分次第という感じです。
怒り
📕望まないシナリオに進まないためには?
怒りに対して怒りで対応したくない、という様な時にどうすれば良いかが、4つ提案されています。
え、それ日本人言うかなあ・・・?日常生活でそんなこと言える??は置いておいて、書いてあるものを要約しておきます。
1 現実を再構成する
「私たちはナーバスになってる。そうでなければこんな態度取り合わないわ」
「怒りの本当の意味は、あなたの恐れじゃない?」
「怒るのは私のことを大切に思ってくれてるからね」
2 メタの視点
「どうして私たち喧嘩してるんだっけ?」
「何について言い争ってるか振り返って考えてみよう」
「この問題は別の見方もあるんじゃない?」
3 感情の置き換え
「そういうふうに言われて傷ついてるよ」
「胸の内を吐き出してくれるのは嬉しい」
4 劇場の視点
「もっといい会話ができないかもう一度やり直してみよう!」
「私たちはよく戦った。少し休憩しないか」
大事なことは、「怒り」をぶつけられた時、気づいた時、それに乗らなくて良い、ということ。(本では、相手が怒りを出しても、それに応じる人がいなければ「何も現実として存在することはない」とまで書かれてます)
この怒りへの対処は、社会構成主義に興味を持ったきっかけでもあり、第1〜3章までを読んできて示されたことで、とてもしっくりきました。
示されてるセリフ例は、大人相手にだとハードルは高いですが、子ども相手には比較的言いやすく、早速試してみています。
目標は、怒りに対して、いい意味で暖簾に腕押しな人になること(笑)。子どもとも、夫とも、仕事の相手でも、気持ちの良い人間関係を築いていきたいなあ〜と思って実践中です。(まだまだ先は長いけど)