第3章 「心の中のこと」と思ってたことも、全て「関係」による
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第3章 関係によって生み出される自己
第1章では「私」と「あなた」が切り離されてたものであるという考え方の持つ弊害が挙げられ、第2章ではその真逆の考え方として全ては「関係」によってできているということが書かれていました。
続く第3章ではそれを深めて、「私の心の中」の出来事なんていうものは無く、個人の心の中の出来事と思われていたこともあくまで「関係」によってできているということがいろんな角度から解説されています。
📕「私の心」はどうやってわかるのか?
この本について考える
noteにまとめたい
理解できずモヤモヤする
これらの言葉、日常生活で使われる多くの言葉は、「心を表現する」ものです。
でも、「自分の心」ってどうやってわかるのでしょうか?精神科医なら「あなたの心」を解読できるのでしょうか?行動を見ていれば心の状態がわかる??
この本では、これらにNOを突きつけます。そもそも「私」の中に「心」があるという概念が取り払われ、「私の心を表現している言葉」さえも「関係」の中にあると提言されます。
📕「心を表現する」言葉も関係の中で機能する
心を表す言葉は文化によって違うという例が書かれています。
なので、万人共通の「心の状態」があるのではなく、その文化、その関係性の中で、その状態を認識し、その言葉がラベリングされているだけ、という感じでしょうか。
自分に置き換えると例えば・・・
私の地元の方言で「いずい(えんずい)」という時、私は標準語ではうまく言い表せない感じがします。方言辞典とかだと「コンタクトが目に入ってゴロゴロする感じ」。え〜〜全然違う!自分の中にある感覚と言葉というのは、これまでの文化や関係性の中で培われてきたものなんだなあと実感です。
ドイツに留学していた時、よく微妙な言い方の違いが何なのか聞いてました。「Danke! とDanke schön」の違いはなんとなく、「ありがとう どうもありがとう」の違いっぽい。じゃあVielen Dank!はどういう違い? 等々ニュアンスの違いって難しく感じました
そして、心を表現する言葉をなぜ使うか?と言えば、その言葉によって相手との関係の中で期待が生まれたり、パフォーマンス(受け止めてくれる他者がいるからこそ成り立つ行為)の1つであるから、ということのようです。
📕「心を表現する」言葉は関係のパフォーマンス
ここまで「心を表現する」言葉として一括りになっていたものの中から、「思考」「意図」「経験・記憶」「創造性」も関係の中での行為である=言葉は関係のパフォーマンスであるという提案が続きます。以下は自分なりのメモ程度に。
思考:その言葉を知らなければその議論に参加できない=考えることも過去の関係性の中で知り得た言葉や情報による
意図:「こういうつもりだった」という自分の意図は、自分のパフォーマンスが何かを認識しているということ
経験・記憶:「私の記憶」は、前提となる関係性によってインプットされる=同じ経験を共有しても人によって異なる
うーん、わかるようでわからない、ガーゲンの醍醐味?!を感じます。でも、第3章最後の1文が、ここで言いたいことを端的に表しているなと思いました。↓
(思考、意図、経験なども、)世界や他者から切り離された「心の中」にある何かではなく、関係の中で作られ維持される具体的な行為なのである。
これは、従来の「私」の「心の中」という世界があるという考えを180度変えてしまう提案で、読んでて訳が分からなくて当然なのかも……という実感です。
が、この180度の転換こそ、普段のコミュニケーションが楽になるヒントがあるのでは?との思いで読み進めているところです。