第1章 伝統的人間観の行きづまり
社会構成主義は実証主義と対比的に論じられることがよくありますが、本書では、社会構成主義が持つ対話の力を重視し、「未来を創造するための新たな可能性」(7頁)を開くことができるものとして位置付けています。二項対立的に批判し合うことが大事な場面もあるのでしょうが、開かれた対話による未来の創造という考え方はいいなぁとしみじみと感じます。
近代的自己
(専門家の方からお叱りを受けそうですが。汗)大雑把にいうと、あらゆる存在を疑い得たとしても疑っている主体である自己の存在は疑えない、というデカルトの考え方が近代的な自己と言えます。
近代的自己は、外的世界とそれを認識した主体としての内的世界という二元論的世界観を生み出し、2022年を生きる私たちの多くも暗黙的に抱いている考え方と言えるのではないでしょうか。
客観的知識はどこまで有効なのか
二元論的世界観では、外的世界を客観的知識によって把握することで、私たちの内的世界を異なる主体間で共有できると考えます。もちろんそうした側面はあるのでしょうが、客観的知識に基づいて他者間で共通認識を持てることを拡大解釈することには限界があります。
著者が挙げている机の例示がわかりやすいので、少々表現を変えて述べてみます。机を説明する際に、生物学者は原材料となる樹木を、技術者であれば安全性を、芸術家であれば様式美を、利用する小学生であれば機能を、それぞれ説明するでしょう。各自が説明で用いる言葉はその主体が属する「共同体の伝統や実践にもとづく記述のしかた」(22頁)に依拠します。
つまり、言葉は共同体が生み出すものであり、言葉によって説明される客観性もまた共同体の影響を受けることになります。同じ事象を観察しても、使う言葉が異なるので私たちが生み出す世界は異なるものになります。
社会構成主義の可能性
言葉によって世界を構築するという社会構成主義は、私たちの言葉が共同体に依存するという制約を意識した上でオープンな対話を重視します。対話によって、つまり言葉として表現することで、自身の持つとらわれから相互に解放されお互いが世界を再構築するという可能性に目を向けると言えるのではないでしょうか。