ゲーム/スポーツ/パフォーマンススポーツ
パフォーマンススポーツはゲームか?
川谷茂樹(2015)「巻頭言 『不幸なすれ違い』について」『日本体育学会体育哲学専門領域会報』19(2), pp. 1-2
柏原全孝(2021)『スポーツが愛するテクノロジー』世界思想社の第2章「採点競技の地平」
「不幸なすれ違い」について
川谷茂樹(北海学園大学)
先般ナカニシヤ出版より Bernard Suits, The Grasshopper: Games, Life, and Utopia(初版 1978 年)の邦訳,『キリギリスの哲学──ゲームプレイと理想の人生』(山田貴裕氏との共訳)を上梓した.本書で展開されている Suits のゲーム規定は欧米のスポーツ哲学界においてはほぼ常識に属するものだが,邦訳の出版を機に日本でも彼の議論が広く共有されることが訳者としての当座の希望である.だが一方で私は「訳者後記」に次のように記した.「原書公刊以来両者〔Suits とスポーツ哲学研究者〕のあいだで交わされたやり取りに触れる者は,この出会いがいかに不幸なすれ違いを生んだかを痛感せざるをえないはずだ」.今回,せっかくの機会なのでこの「不幸なすれ違い」のさわりをご紹介したい.なお,紙幅の都合上レファレンス情報を記載できないが,必要な方は直接私にメールで問い合わせてください.
たとえば K. Meier は,Suitsのゲーム規定をスポーツの定義の中に組み入れる.言い換えると,スポーツの本質を規定するために不可欠な一つのツールとして Suits のゲーム規定を利用する.Meier によれば,スポーツとは身体技能を伴うゲームであり,すべてのスポーツはゲームである.そしてここでの「ゲーム」については,Meier は Suits の定義に完全に依拠している.また,現在最も精力的に Suits のゲーム論に依拠しつつ仕事を積み重ねているのは,Meier の弟子である D. Vossen である.こうした状況を見るかぎり,Suits のゲーム規定はスポーツ哲学界の中で有力な支持者に恵まれ,それなりに確固たる地位を手にしているように映る.
だが,事はそれほど単純ではない.不思議なことに,Suits と最も派手な論戦を繰り広げているのは,上の Meier なのだ.これはおそらく Meier 本人にとっても意外な展開であったに違いない.何しろ Suits は,自身の議論に依拠した Meier のスポーツ規定に必ずしも同意せず,ゲームであるスポーツもあるが,そうでないスポーツもあると主張するのである.たとえば野球やテニスはゲームであるが,飛び込みや体操といった「パフォーマンススポーツ」はゲームではないのだと.
この論戦でどちらに分があるかという判断は保留するが,その帰趨は Suits よりも Meier にとってよほど深刻である.この論争がどう帰結しようが,論争の前提として両者に共有されている Suits のゲーム規定自体は無傷であるのに対し,Suits の主張が正しいとすると,Meier は自らのスポーツ規定の大幅な変更ないし撤回を余儀なくされることになるからだ.
さらに,この論争を通じて,極めて興味深い事実が図らずも露呈してしまった.それは, Suits のゲーム規定に対する Meier の理解には重大な瑕疵があるということである.Meier が弁明の余地なくさらけ出してしまっているのは,よりによって Suits のゲーム規定の中核をなす「構成的ルール」という概念に対する,あっけにとられるほどの無理解である. Meier は自分が曲解している Suits のゲーム規定をそのまま使って,スポーツの本質規定を行っていたのだ!
当事者ならずとも愕然としてしまう事態であるが,当然 Suits は Meier の誤解をあっさり退けている.しかし,あまり深くは追及していない.たぶん,自分の主張の基本的な論点を理解していないにもかかわらず,それを利用している Meier に失望したのだろう.その後,彼らのあいだでやり取りがなされた形跡もない.一方,Meier が自らのスポーツ規定を撤回したという話も聞かない.まるで,何ごともなかったかのようである.実際 Vossen も,ことスポーツ規定については Meier に追随している.
とりあえず以上が,冒頭に述べた「不幸なすれ違い」の(あくまで)さわりである.何か空々しく,寒々しく感じるのは私だけだろうか.理論的に Suits に依拠している Meier や Vossen でさえ,Suits の議論をまともに受け止めていない.上記論争の一区切りとなっ た Suits の論文は 1989 年のものだが,彼が次の論文を発表したのはほぼ 15 年後,2004 年 のことであった.この長きに渡る空白=沈黙は,果たして何を意味するのか.もう少し実りある議論が実現していれば,多少は違った 15 年もありえたのではないだろうか.いずれにしてもわれわれは,彼の地で起きた出来事をただの他人事ではなく,他山の石とすべきなのだろう.