「ゲームと芸術としての行為性」
C. Thi Nguyen. Games and the Art of Agency, Philosophical Review 128 (4):423-462, 2019 Nguyenはグエンっていう
「エージェンシー」を単に「行為者性」「行為主体性」という意味で使っている
以下、DeepL翻訳様
以下、メモ
バーナード・スーツによるポータブル版のゲームの定義は、ゲームとは「不必要な障害を自発的に乗り越えようとすること」である。これは、ゲームの一部の面では正解である。しかし、不十分である。ゲームプレイには、少なくとも二つの異なる形態がある。挑戦や障害物に対するスーツ派の遊び、もうひとつは架空の想像力の富んだままごと遊びである(Nguyen,2019)。 これを、努力型プレイと達成型プレイと言い換えることもできる(Nguyen,2019)。達成型プレイとは、勝つこと自体が目的であるか、勝つことで得られる財や金と言ったものが目的であるかのどちらかである。努力型プレイは、努力のために一時的に勝つことへの興味を獲得する。
一方、ゲームでは、ゲームの世界と、我々がもつエージェンシーを、我々の欲望に合うように設計することができる。ゲーム内の目的を簡単かつ流動的に変更することができる。
注意深く区別しなければならないのは、ゲームの目標(ゴール)とゲームの目的である。
ゲームの目標は、ゲーム中に我々が目指す目標のことで、最初にゴールラインに到達すること、得点を最大化することなどが挙げられる。
スーツがいうところの目標の区別②「ゲームの内部的目標」
一方、ゲームの目的は、我々がそもそもゲームをする理由である。ゲームをする目的は、楽しむため、運動するため、ストレス解消のため、技術を磨くため、相手を打ち負かすため、困難な課題を克服するため、あるいは自分の技の美しさを実感するためかもしれない。
スーツがいうところの目標の区別③「人生の内部的目標」
プロのポーカープレイヤーや、オリンピックの短距離走選手などのゲームプレイヤーにとっては、目標と目的は同じものである。
しかし、スーツが明らかにしたことは、ゲームにおける目標と目的が、互いに全く異なる可能性があることだ。
達成型のプレイと努力型のプレイ。注目すべきは後者。
バカゲーは、達成型のプレイヤーにはまともに遊べず、努力型のプレイヤーにしか遊べない。なぜなら「失敗」が面白いからだ。成功は重要ではない。「面白い失敗」をするために、プレイヤーは「成功」を追求しなければならない。
ゲームプレイは楽しいものか?No。別に楽しくなくても成立する。