私的文化論
全員が賛成すること、すくなくとも反対しないことは、文化的なことには少ない気がする。文化は多分に趣味の問題であり、趣味は人によって違うから全員が気に入るということはまずない。よくても多くの人が気に入るくらいで少数の人はだいたい反発する。文化は元々、賛否両論なもので、それがむしろ望ましいのだろう。
文化は多数決でなく選択肢そのものの提供であり、選択肢が増えることこそ文化にとって正義なのである。だから文化は自由と近しい関係にある。参加できるイベントの選択肢が増えることで、心が豊かになりうる。街に活気が生まれ、人びとの繋がりが、その化学反応で新しいものが生まれうる。
広告代理店や一般の大企業、キー局、文化庁といったトップエリートがいわば資本の力でグローバルに展開する文化もある。一方、マルシェやストピのように、地域の住民や自営業者たちがボトムアップに作っていくローカルな文化もある。いずれにしても文化は選択肢を増やし世界を豊穣化する取組みである。
しかしドラマやバラエティや映画などマスメディアを介した芸能人がYouTube時代でも絶滅しないように、TVと広告代理店を中心とする文化産業は今後も第三の権力でありつづける。圧倒的に弱いボトムアップでローカルな、つまりバナキュラーな文化は、ネット時代でも応援されるべきものだろう。