〇〇しかない
2021.1.2
最近の流行り言葉「~しかない」というブログ記事によれば、今まで否定的に「これしかない」「今日しかない」「やるしかない」のような「仕方ない」というニュアンスのある比較的ネガティブな意味で使われてきた言葉が、今日では「感謝しかない」というように、非常にポジティブな感情に関して使われるようになった。 ニーチェが強調するように、人間の内面には多数の声つまり複雑で多面的な感情が存在するが、それにもかかわらず、感謝のような1つの感情が100%であることを伝えるので、極めて強い表現になる。たとえば「感謝しています」というだけではそれ以外にも文句や不満のような他の感情が存在する余地があり、あわせると30%くらい下手したら3%くらいの感謝しかない可能性の余地を残す。一方、そんなマイナスの感情がゼロであることを「感謝しかない」は表現することができる。他の可能性を潰す方式で、余事象を突くところがあり、数学的に正確である。こんな背景があって広がったのかもしれない。
ただ、じっさいにこの言葉を口に出すのはけっこう勇気がいることだと思う。よっぽど高揚していないと、他の感情や意見の存在を否定することになるのだから、真実ではなく虚偽を伝えることにもなる。したがって事柄の真偽を気にするタイプの人、たとえば研究者、学者、アナリスト、コンサルタントといった知識を売り物にする人びとは職業的に使わない言い方のようにも思う。その一方で、その場のノリや高揚を伝えることが重要なスポーツ選手、芸能人はよく使うかもしれない。同じ人でも、記録を伴わないような日常会話においてはこの言い方を使うかもしれない。
このように○○しかないという言い方は、単純に見えても、他の可能性を否定するところがあるので慎重な人は使わず、それもあって、この言い方には高揚感があり、直情的で、いわめて鋭角的で強い表現になることができる。
しかしながら、絶対値が高いことを示す「スゴい」「超〇〇」「ヤバい」といった表現とも似ていて、物事を単純に表現する嫌いがある。複雑な感情を押しのけて、1つの感情が個人を支配することはたまにある。というかそういう事態は稀少であり、それを伝えるためにも「感謝しかない」という表現が選ばれるのかもしれない。だが、〇〇しかないというような短い言い方はしばしば紋切型になり、各々の具体的な状況を反映した人びとの固有な思いを反映することが原理的にできない。一方、具体的な状況の記述を含めた形の感謝の言は、その言葉がまさに「そこにしかない」ことを表現することができ、本当の意味での感謝の言葉になる。
短い紋切型の抽象的な表現は便利ではあるが、それに頼ると、抽象と具象を行き来する思考を通じてしか得られない豊饒な言葉を得られない。長すぎる言葉は情報として弱く何を伝えたいのかわからないが、短すぎる言葉は紋切型として陳腐化してしまう。短い便利な言葉よりも、ほどよい長さで、冗長を排しつつ、具体的な事柄をすこし絡めつつ話す方が結局は人に思いを伝えることができるのだろう。