幸せの沸点が低い
沸点?閾値?まあともかくとして、幸せを感じる条件が低いことについて
私は幸せの沸点は低い方だとは思うのだが
ご飯を食べているときが人生で一番幸せだし
今までこれに特に困ることは無かったのだが、一応デメリットも考慮しておくべきか
備考として、別に人からおちょくられた時などは普通にムカつきはするのだが
人生における不幸をあまり感じないというか
幸せの沸点が低いことによるデメリットについて
例えばなんだが他人に対して「なんでこんなことでストレスを感じるんだ」みたいな心理は働いてしまうだろう
正直これは自分でもあまり良くないことだなとは思っているのだが
私が抜群に図々しくて能天気というだけの話だし
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アランや実存主義の話なのだがどうにも彼らの「人間の意志は強い」という前提に肯定できないというか 別に自己肯定感を高めようとする態度自体は健全だし、むしろ好きではあるのだが
「そもそも人間の意志とは弱いものであり、それを前提とした生き方を心がけよう」という考え方の方が良いような
「いかにして幸せになるか」より「いかにして不幸せな時間をやり過ごすか」を論じることの方が有意義な気がするが
プラスを目指すのではなくゼロを維持するというか
というかもしかして実存主義ってそういう考え方だったりするのか?
まあそうだとしたら肯定すべきか
具体的にどのようにして不幸せな時間をやり過ごせばよいか、ということについて
私の頭だとご飯を食べる以外に思いつかない…