ポジティブに言い換えているのか現実逃避なのか
「問題解決のためのプロセス」なのか「単なる現実逃避」なのかというのは気にかけておくべきか 例えば「器用貧乏」というネガティブな言葉を「ゼネラリスト」というポジティブな印象を持つものへ言い換えるとする それにより気分が改善し問題解決に取り組むことが出来るのであれば良いのだが
言い換えたところで「貧乏」部分は別に存在し続けるわけである
つまり、「貧乏」の部分で何かトラブルが発生している場合、その解決自体はしなければならないわけである
言い換えによって問題点が不明瞭になると、それはむしろマズいような
なんなら「器用貧乏」という言葉はポジティブ : ネガティブ= 50 : 50なので意外と丁度良い、ネガティブの印象があったが
ネガティブな印象へ傾きすぎている時のみに言い換えれば良いわけである
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そもそもポジティブな言い換えをしたくなる時の心理というものを考えれば良いわけか
「ダメなまま存在し続ける」ということが嫌だから?
ダメなまま存在し続けても別に良くね…
わざわざ綺麗にしなくても、ダメな部分があったままの方が愛しいと思うんだが
しかしこれは私の個人的な好みの話
例えばだが、自分が「グズ」と呼ばれているとして、誰かからそれを慰められるとする
2パターンある
A.「あなたはグズではなくのんびり屋さんなんだよ」とポジティブに言い換えられる
B.「あなたはグズだけど別にグズで良いんだよ」と、グズであること自体を肯定される
これはもう個人的な好みの話だと思うが、私だったらB.の方が好きなのだが
なんかこっちの方が力強くないっすか、自分の傷を乗り越えようとする態度が表れているようで
まあコンプレックスは人それぞれということはその通りだし、傷があること自体が本当に嫌という人もいるとは思うが
個人がどうこう言える話では無いか