パスカルの賭け
これ「現実における不確定要素を考慮するか」という話だと勝手に解釈していたのだが
パスカル自身の真意はどうなんだろう、また今度調べるが
以下、個人的解釈
「神はいる」は「現実において不確実な出来事は発生する」と言い換えることが出来る
そしてまた「神はいない」は「現実において不確実な出来事は発生しない」とも
まあどっちの理屈の方が現実的かと言われると前者である
「神」という言葉が使われているせいでスピリチュアルな印象になってしまっているという話だと思っていたのだが
理性を超えた存在の解釈の仕方ということ?なんかデカルトの流れみたいだし ただ「信仰心によって人生が充実する」ということが私には分からんのですが
そういう…もんですかね
まあ「礼儀正しくなる」という性質を獲得できるということでは利点ではある
「神の存在の確認」と「結果的に礼儀正しさを獲得できる」ということを切り離して考えられるのは確かにその通り
…別に神様信じてなくても礼儀正しくすれば良くね?
いやまあパスカル自身はそこの部分は重要視していないのだとは思うが
パスカルとしては「礼儀正しく生きましょう」ということが論旨だとは思うけどね、それは同意
例えば「ポイ捨てするとバチが当たる」とかは信仰による規範の形成とも言えるし で、そういう振る舞いに心理的抵抗があるのは事実なわけである
信仰が道徳を産むということであればまあ確かにパスカルの言う通り /imo-icon/hr.icon/imo-icon/hr-long.icon
個人的に神がいるかいないかのどっちを信じるかという話だが
いてもいなくてもどっちでも良いんじゃあねぇかな…
で、パスカルのスタンスも多分これと同じ
「いてもいなくてもどっちでも良いですがリターンを考慮して"いる"方に賭けます」という
ただパスカルが推奨しているのは自分の気分が良くなるスタンスを持てということだと思う
「信仰しない」に一切のコストが生じない場合のみ成り立つということは文中にも書いてあるけど
まあその仮説自体も…ぶっちゃけ同意
なんだか上手く言いくるめられた気分