相手の土俵に乗る効用
高校生の時は他人に対するコンプレックスは割と強い方だった
大学生の時は、高校の反省として「競争から降りることで幸せになれる」という考え方に従っていた
今は逆に競争に関して肯定的になってきていると思う
競争をすることが他人への敬意の表れになる側面を持つということはあった
勝負を仕掛けるということは言い換えると相手の土俵で戦うということである
相手の高みへ上るためには、相手が歩んだ道を自分も歩む必要がある
「理屈は分からないがすごい」が「この過程をこなすとはすごい」という認識に変わるのが良かった
競争しないことは健康的ではあったのだが、自分はそういう星の下には生まれていないだろうという感覚もあった
自分の内なる声は徹底的に不健康になるべきと言っていた
酒やタバコが、快と毒を同時にもたらすことと同じように、自分には他人への劣等感が必要だという直感がある
「他人へ嫉妬しないようにしよう」ということは自分の内なる声に反すると感じた
「どうだ、すごいだろう」と勝ちを誇示したい欲求はそこまでない
他人よりプラスになりたいという欲求があまりない
しかし、マイナスからゼロ(相手と同じ地点)になりたいという欲求が非常に強い
常に自分のマイナスな面を見つけて、無限にそれを埋めるという行動をしたい