楽しさが分かるまでやる
世の中にそれを趣味にしている人がいる以上、自分もその状態へ持っていけるのではないか仮説
例えば自分はガーデニングの楽しさは分からないが勉強すると魅力が分かるのではないか
これはすべての物事に言えそう
「なぜ楽しくもないことをやっているのか」という問いに対しての答えになるのではないか
楽しさが分かるまでの過程に居る状態
絵を描くとき
線画をやっているときは楽しいが着彩が苦痛
が、世の中には逆のことを言っている人がいる
つまり単に私が着彩の楽しさを知らないだけ
楽しさが分かるまでやる
昔Blurの魅力が全く分からなかったので聴きまくってたらいつのまにか好きになっていた経験があった
なぜ魅力が分からないのに聴きまくっていたんだろうと思うが…