「ジャクソン主義者としてのトランプ大統領とアメリカの立憲主義」より
9条解釈から立憲主義それ自体の定義に至るまで、すべて「国民が主権者である」という「憲法制定権力」者絶対説といっていいテーゼを振りかざすことによってしか日本国憲法解釈を行うことがない日本の数多くの憲法学者にとってみれば、ストーリーらアメリカ人による分割主権論や、19世紀イギリスのブラックストンらによる「絶対主権論の例外」としてのイギリス混合政体による主権共有論は、全くの異端であり、ほとんど「反知性主義」的なものであるかもしれない。だが、それらこそが、アングロ・サクソンの世界の正統な立憲主義である。
合衆国憲法においては、立憲主義とは、自己制約であり、チェック・アンド・バランスのことである。確かに、それはいずれ南北戦争のような危機を招きかねない憲法システムであるかもしれない。しかし、いずれにせよそれは、「絶対国民主権主義」ではない。それは彼らが「立憲主義(Constitutionalism)」という概念で理解する何ものかなのである。