「「言葉」と「現実」と「人間」の関係を結びなおすために〜「被災者の文学」という企投」より
現在は、リアルが無視される状況、現実や事実が隠される状況である。言論統制、検閲だけではない。空気や善意、あるいは、異物を排除したいという心理・無意識・感性であったり、政治的な正しさであったりする。
「人間の真実」を描くという標語は、この時代の状況から距離を取るために設定される。
どんな理由であれ、覆い隠され、埋められてしまう「声なき声」が叫び出したいのなら、叫ぶべきであろう。世の中に出なければならない言葉、公共化されなければならない言葉は、そうされなければならない。
咀嚼できない「事実性」の次元にあるこれらが、言説空間に、少なくとも、「文学」としての言葉に載ってこないのは、なにがしかの問題が生じているのではないか。
言葉が現実を描けないのか。現実が言葉にならないのか。
どちらにしても、ぼくはこの「乖離」を眺め続けることに耐えられなくなってきている。このままでは言葉は空疎に上っ面を撫でていくだけのものになってしまう、少なくともぼくにとってはそのようなものにしか見えなくなってしまう。