「「弱音を吐いたときがチャンス」“依存症の誤解”が共感呼ぶ「善意が恐ろしい」」より
「嗜癖問題」は(アルコール依存症を中心に)1980年代に研究が進み,1990年代には「回復プロセス」がほぼ確立してきます。
ただ日本の場合は一般への認知はすごく遅れている印象。
個人的にこれは日本独特の歪んだ精神論がネックになっている気がします。
つまり「精神が肉体をコントロールする」という宗教的幻想。実際には逆で人の精神を主に支配しているのは(脳を含めた)肉体なのです(そこから「自由意志」の問題が出てくるんだけど,その話はいつかどこかで)。
依存症を含む「嗜癖問題」は人の適応反応の一種です。
たとえば免疫反応が悪い方に発揮されればアレルギーになるように,問題やストレスなどを回避する適応反応が悪い方に発揮されれば嗜癖になり,それをこじらせば依存症になります。
というわけで,詳しくは A. W. シェフ女史の『嗜癖する社会』をどうぞ。 って,この本絶版状態なのか。まぁ広島市の図書館にはあるっぽいので...
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この記事には示されてないが,実は「健全な精神は健全な肉体に宿る」というのは戦前のドイツや日本などの軍国主義による誤用がベースになっているらしい。
それが御用されたまま現在まで生き残っているようだ。
この記事の最後の方に書いてある宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」との比較が面白かった。
確かにユウェナリスの詩の内容は「雨ニモ負ケズ」にニュアンスが近いかもしれない。