「「ポスト・南スーダンPKO撤収」時代の日本の国際貢献」より
「アフリカは嫌だ、PKOはやらない、ところで早く常任理事国になるべきだ」といった話は、さすがにもう論外だということを、多くの人は気づいているとは思う。だがそれでもまだ、「日本はそれでも世界で尊敬されている国際貢献大国だ」とか、「援助の量は少なくても質では中国に負けていない」、といった言説を、日本人の方の口から聞く機会がまだある。そういうことを言う人は、もっと数多くの途上国を旅行し、国際会議に出たほうがいい。
ほんの15年ほど前、何人かの冷静な日本人だけが、中国のGDPが日本を抜き去る事もありうる、などと指摘していた。7年ほど前、それが現実になったとき、多くの日本人が衝撃というよりも、とまどいを覚えていたように思う。2016年のGDPで言うと、日本は約4兆ドル。中国は約11兆ドル。(若い方であれば、)今年中には、日本のGDPは中国の3分の1です、という言い方を始めなければならない。
そういう自己認識の中で、日本が国際社会の中で生き抜いていく方策を考える必要がある。
日本は憲法9条で戦争を放棄し、戦力を保持せずと規定し、交戦権を否定している。これがあるから戦後70年以上にわたって日本の平和が保たれていると信じられているが、冷静に考えればそれは違う。日本人が考える戦争とは「侵略戦争」のことだが、これは日本国憲法ができる以前から国際慣習法(例えばパリ不戦条約)で否定されている。しかも国連憲章には敵国条項があり、日本やドイツなどの「敵国」が侵略戦争を行った場合は、安全保障理事会の決議なしでも武力制裁を科すことができると定められている。つまり日本は(日本に限らず)、そもそも侵略戦争ができないだけでなく、日本ほど武力行使をやりにくい国はないのだ。つまり、憲法9条がたとえ無くなっても、日本は、日本流の「戦争」をする心配はないのだ。
ニューヨークの国連本部では、PKO予算の削減が大きな課題です。PKO予算は、分担金比率にもとづいて加盟国から提供されるため、安全保障理事会で拒否権を持つアメリカが強烈なプレッシャーをかけてくれば、必要性の低いPKOミッションは早期に終了させ、巨大ミッションは規模を縮減していかなければなりません。国連事務局がその方法を検討しなければならないのです。
関連ブックマーク