「“真実”などなく"解釈”だけがある--インターネットの限界」より
この手の記事を見るたびに思うんだけど,そろそろ「事実(fact)」と「真実(trueth)」を分けて論じていただけないものだろうか。
これらをごっちゃにするから20世紀の腐れ哲学者みたいな出口のない論考に陥るんだよ。
それは「不定解」である。
不定解をいくら捏ねくり回しても一歩も先には進めない。
「真実」が人の恣意と認知に大きな影響を受けることは今更な話であって,ネットがどうとか関係ない。
敢えて言うなら「人の不完全性は技術では(増幅することはあっても)補うことが出来ない」という確信だけだ。
それはネットの限界ではなく人の限界である。
“Post-truth" などというのは「不完全性の悪用」を言い換えてるに過ぎない。
不定解や不能解に陥るのは問いの立て方が間違っているのである(古典物理学における「ビッグバン」や「ブラックホール」のように)。
ならば問い掛けそのものを疑うべきだ。