情報ということば
こちらの記事の下書きです。
小野厚夫「情報ということばーその来歴と意味内容」冨山房インターナショナル
「情報」という言葉の意味を説明するのは、訳語としての成り立ち、戦前戦後、コンピュータ以前以後の時代による用法の変化があるために難しくなっています。筆者は用例資料に基づいて、明治初期の軍用語としての生まれ、日清戦争期からの一般語としての普及、アジア・太平洋戦争期における諜報に関わる語としての変質、戦後のタブー視、情報化社会以降の一般語としての再生を追っています。また、現在における使用の広がりについても触れることで、情報という言葉の歴史とその諸相とが示されます。
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以下は、個人的な興味に沿った読書メモです。情報工学の学生さんに対して、情報という語が計算機分野に対して用いられることになった背景を説明できるようにしたい、ということがきっかけでしたが、あとがきを読むとこれは著者の動機と同じでもありました。
なお、シャノンの「情報理論」においてなぜ information という語が採られたか、ということが情報工学分野ではまず興味を引くと思いますが、そちらはジェイムズ・グリック「インフォメーション 情報技術の人類史」(楡井浩一訳、新潮社、2013年)のほうが詳しいので合わせて読むのが良いと思います。
「情報」について調べるなかでこのページに辿り着いてしまった方は、本書の内容はここにあるより遥かに網羅的かつ豊潤なためぜひ原書にもあたられたい。下記ではご覧の通り章ごとに取り上げた分量もばらばらである。
基本的には個人的な要約と抜き書きで、特に感想めいた話は《》内に記しました。
第1章 「情報」の初出
最古の用例は「仏国歩兵陣中要務実地演習軌典」
1876年10月
フランス陸軍の歩兵陣中要務「Instruction pratique sur le service de I'nfranterie en campagne」(1875年)を訳した書
著者は酒井忠恕(陸軍省官房御用)
「情報」に対応する原語は「renseignement」
1870年の陸海軍術語辞典(仏英)における「renseignement」
第1義 information
第2義 intelligence(軍用語として)
現代の仏語辞書における「renseignement」
漠然とした意味での情報
軍用語としては情報機関の意も
特定の問題についての突っ込んだ情報は 「information」
教科書として普及したことが判っているため、陸軍内で「情報」の語も広まったと考えられる。
熟語の成り立ち
酒井が1882年に出版した抄本「仏国歩兵陣中要務実地演習軌典抄」に「情報」の語の意訳が3度添えられている
敵情ニ関スル情報(しらせ)
上番ノ者ニ其得シ情報(てきのようす)
総テノ情報(しらせ)
酒井としては「情報」を敵や地形の「ようす」、ないしは「情状の報せ」という意味で用いたと判る。
兵学における「情」の字の初出はとても古い(孫子)
山鹿素行「孫子諺義」:「情はマコトなり」
荻生徂徠「孫子国字解」:情は敵味方の軍情。こうしたら勝て、こうしたら負けるであろう「わけ」(理由)
よって、情報は「まことの報せ」「ことわけの報せ」というニュアンスだとも受け取れる。
「情報」の語が生まれる前
「報知」「諜報」「新聞」などの相当する語があった。
「情報」を造語したのは誰?
著者の酒井が有力な候補者である。他の可能性についても検討した。(p.36-39)
第2章 陸軍における「情報」
「状報」(初出1882年)の語も並行して使われるようになった。ニュアンスは異なるが明確に使い分けられていたわけでもなかった。
「状報」は1890年以降に急減するため、陸軍内での何らかの使用規制が推測できる。
「情報」と「諜報」の違い
諜報は古くからある漢語。
当時の諜報の語の扱いは p.59-p.70
第3章 「情報」の一般化
日清戦争の戦況報道が加熱するなか、軍人が公報や報告の中で用いた「情報」の語が記事中にも現れ始めた。
「情報」の新聞初出はおそらく旅順陥落を報せる1984年11月29日の新聞「日本」。引用された旅団の命令書内に「情報」の語が登場する。
12月25日には「東京日日新聞」「日本」「自由新聞」で新聞見出しに「情報」が初めて現れる。
おそらく大本営に掲示された見出しの転記。
当時の「情報」には大本営発表として公開されたものすら含まれているため、「諜報」の持つ極秘とか非公開といったくらいイメージは付随しない。
《本書では意味の隣接する「情報」と「諜報」の時代ごとの距離感を明らかにすることを重要な観点としている。》
新聞に続き戦記本や雑誌にも「情報」の語が現れ始める。
ブール戦争から北清事変にかけて新聞紙面に大量の「情報」の語が登場するようになる。日本語として早々に一般化。
「情報」の鴎外造語説(誤り)
1970年代後半には流布していた。1974年に刊行された日本国語大辞典の「情報」の項に鴎外の引用があるのがおそらく引き金。
※藤鞆絵(1911)〈森鴎外〉「佐藤君は第三の情報(ジャウハウ)を得た」
鴎外の当時の日記や訳書から、仮に鴎外が造語したとしても早くて1887年のことであるが、上述の通り、1876年以降「情報」の語は陸軍内で普及が始まっている。
また、鴎外が「情報」の語を普及させたという論も否定できる。
鴎外が「情報」を最初に用いた「大戦学理」(1903)「戦論」(1904)が出版された時には、上述の通り新聞で広く仕様され、辞書にも掲載されており、かなり一般化されていた。そもそも両書とも難解な兵書で一般人が手に取るものではない。
日国に掲載された「藤鞆絵」ほか鴎外作品では「情報」の出現回数が少なく、北清事変からかなり年数が経ってから書かれた。
第4章 第二世代の「情報」
国語辞典に「情報」が登場するのは「新編漢語辞林」(1904)
1925年までに13の辞書で採録
意味は概ね「知らせ」「報知」「報告」
北清事変まで「情報」は主として兵語として使われてきたにも関わらず、国語辞典ではまったく軍事色が感じられない、極めて一般的な定義になっている。
第5章 「情報」の暗黒期
「情報」を題名にした小説の広がり(1930年から43年)
軍事小説、探偵小説、プロレタリア小説、時代物(情報という言葉がまだない時代を扱っているにも関わらず)
そのほか詩歌にも登場。
国家情報機関の設立
1936年 情報委員会
内閣直属
各省の情報宣伝の連絡調整。
1937年 内閣情報部へ改組
自ら情報収集、報道、啓発宣伝も行うようになる。
「国民精神総動員」運動を遂行。国民を長期戦体制へ誘導
各府県に地方情報委員会を設置。
1940年 情報局
内閣直属ではなく内外務省の出先機関へ変貌
政府の情報活動、宣伝
言論の取締
新聞/雑誌/書籍に対する言論、思想面での指導統制
新聞社の整理統合
記事の検閲
どちらかといえば積極的な宣伝活動より消極的な言論の取締に重点が置かれていたように受け取れる。
1941年 国防保安法
法律の文面にはじめて「情報」が登場する
法制化の際、秘密保護すべき「情報」の定義が議論となった。
《「情報」とその取扱に関する定義が明らかでないため濫用された。》
防諜週間の設置。市中に標語があふれる。
ラジオの「情報放送」
空襲情報を伝えた。
「情報」に対する暗いイメージの誕生
情報局は、「情報」という言葉が戦中・戦後急速に忌み嫌われるようになった要因の一つ
言論・報道管制
防諜の強制
情報は、スパイ活動、諜報ないしは謀略活動、秘密情報、言論統制、憲兵の弾圧といった言葉と深く結びついた形で受け取られた
第6章 現代の「情報」
1925年 統計学者フィッシャーが information を初めて技術的な専門用語として使用。
意味は情報科学の分野で用いられる information とは異なる
ベル研究所での「information」の誕生。
《以下はジェイムズ・グリック「インフォメーション 情報技術の人類史」に詳しい
1924年 ハリー・ナイキストによる情報(intelligence)の定量化
1928年 ハートリーによる情報(information)の提案。抽象的な情報を情報源の種類、伝達の方法、受信の機構から切り離し、定量化。
1948年 シャノンによる information theory》
Information theory の日本への導入
1951年 東京大学 高橋秀俊:「インフォーメーション」とカタカナ表記した。
1951年 電波管理総局 関英男、喜安善市、室賀三郎ら:「情報理論」と訳した。
ただし、「情報」の語は戦中の暗いイメージのため歓迎されなかった。
1959年 ユネスコの国際会議IFIP(International Federation for Information Processing)
日本では和田弘が「情報処理国際会議」と直訳
この命名がきっかけで情報処理という言葉が広く流通するようになったと考えられる。
1960年 情報処理学会の設立。
情報と名がつく学会名はまだいい感じを与えないことがあったという。
1960年 理化学研究所 情報科学研究室設立
1966年 慶應義塾大学文学部 文学研究科図書館・情報学専攻
1970年以降、国立大学五学科をはじめ、情報系の大学学科設立のはじまり
《本書では詳細が触れられていませんが、1970年に各大学が情報工学・情報科学という学科名を採用する際には慎重な検討があったものとみられます。
東京工業大学においては理学部に設立され、「情報工学科」ではなく「情報科学科」の名称を採りました。以下は設立10年後の振り返りとしての話ですが、彼らは「情報科学」というものが、自然や社会の中で発生し、関連しあっている情報の伝達、蓄積、分析、利用、管理、制御などの共通の統一的原理を明らかにし、かつそれらの具体的な方法論を展開するものだとして、(工学的な)電子計算機についての教育・研究はその重要な一領域ではあるものの部分であることを強調しています(bit臨時増刊 情報工学の教育・研究 情報学科10年の歩みと1980年代の展望、共立出版、1980)。
京都大学においては工学部に設立され、「情報工学科」と名付けられました。「京都大学工学部情報工学教室十年史」によると、計算機科学(Computer Science)という言葉がようやく米国等で使われだした時代であるが、機械の名称を学科名とすることは避け、より本質である情報という名称が選ばれたということでした。また別の先生は、英語圏、フランス、ドイツにおける情報系の学科名を調査した上で、Computer という機械が将来に渡って不滅だろうか? もっと香りが高く、人間と共に存在する情報という名前のほうが安全だという判断が学科名として Information を採る理由の1つだったとしています。》
1960年代 流行語としての「情報」
1962年 梅棹忠夫「情報産業論」
1969年 林雄二郎「情報化社会」
1972年 政府 情報化週間の始まり。1982年以降は情報化月間へと延長。
1980年代後半 Information Technology(IT)あるいは Information & Communication Technology (ICT)
Information Processing から言い換えられるようになる。
2000年 ふたたび流行語としての「IT革命 」
九州・沖縄サミットにおけるIT憲章の採択
政府 IT戦略会議設置
2001年 情報公開法
2005年 個人情報保護法
「情報」という言葉の諸相
時代による意味の変化、広がりが見られる
立場によって定義が異なる
社会科学の文脈
意味のある、ないしは有用な情報、不確実さを縮減させる働きをもつ内容だけを研究の対象とする
情報化社会の文脈
コンピュータで扱えるデジタル情報のこと
物理的なものとしての情報。
生物学
DNAの発見。
セス・ロイド
情報は宇宙が創り出されたときにすでに存在していた
梅棹の「コンニャク情報理論」
別に役に立たなくても、存在することで生命の充足が得られるもの
高橋秀俊による「情報」とは
「知る」ということの実体化
この「知る」とは人間以外に対して擬人的にあてることもできる。
機械から機械へ情報をおくる
脳から筋肉へ情報をおくる
「情報」と「知識」の差異化
知識は情報を資料として個々の人々が評価・判断し作り出すもの
「身につける」「つちかう」という言葉を連ねたとき不自然でないのは「知識」のほう。
現在は辞書上では「information」の訳語としても定着。
情報は情けに報いるか?
情報における情の解釈として「ありさま」「まこと」から「なさけ」と解釈する人が見られるようになってきた。
博報堂の小川明が1984年と1991年に「情けの報らせ(知らせ)」と紹介している。
転じて「情けの報い」という誤解も出てきたのではないか。
著者としては「情けに報いる」あるいは情報の「情」を「なさけ」「こころ」とする解釈に与しない。情報からなさけを感じることがあっても、情報に「なさけ」があるわけではない。むしろ、「なさけ」は情報をゆがめる要因となっている。
《本書「あとがき」にあるよう、1990年ごろにはこうした「情報」の語源の話が社長の訓示などでよく見られたのだと思われます。私が1993年に情報工学科へ入学した際、そのオリエンテーションでも担当の教授が「情けを報せる」学問だと訓示されたことをよく記憶しています。俗流解釈としての臭みは確かに感じるのですが、情報工学というものが当初より工学系に重心を置きながらも人間活動に広く関わる学問であって、その人間活動の占める部分が年々大きくなっていたなか、「情け」という言葉を持ち出されたのではないかとは個人的に思っています。というのも、もともと工学的な側面だけでなく雑誌その他メディア上の言葉が人の心に影響するところの「情報」に興味があって情報工学科を受験した経緯があり、なにかそういうところで入学初日から琴線に触れて記憶されたためでした。》
《付録》
戦後に「情報」という言葉にアレルギーを持つ人が多くみられたことは、本書 p.195-201に事例が複数挙げられています。私が1970年の「情報処理振興事業協会等に関する法律」を調べた際、審議会の議事録中に同様の事例が見られたので参考のためここに載せておきます。戦前派の「情報」という言葉に対する不信、またそうでなくても「情報」という言葉の意味を共有するのは難しいということを同時に見て取ることができると思います。
第63回国会 衆議院 商工委員会 第17号 昭和45年4月8日
第63回国会 衆議院 商工委員会 第21号 昭和45年4月17日