キャラクター 登場人物の本質と創作の技法 第一回
初版: 2022年9月30日
第一部 キャラクターをたたえて
キャラクターと人間
人間は未完成で進歩の途上にあるが、キャラクターは完成して演技をはじめている。
キャラクターと人間の二項対立で議論をしたいようだ。
人間は二十四時間、つねに存在する。キャラクターが存在するのは幕があがってからおりるまで、フェードインからフェードアウトまで、最初のページから最後のページまでだ。
無限の情報量を持つ人間と、有限の情報量を持つキャラクター
身のまわりにいる人間と比べて、キャラクターは多くのことをわれわれに伝える。こちらが観察しているあいだ、いやがらずにじっとしていてくれるからだ。
~~
しかし、自分自身に目を向けると、潜在意識は頑なに沈んだままだ。そのため、自分の真の姿はつねに謎めいている。
キャラクターは有限であるのに(有限であるからこそ)多くのことを伝えてくれるらしい。← ?!
人間の方が無限 / 連続的な情報を持っているのになぜそんなことが起こるのか。
料理が写真の方が美味しそうに見える説とルイジ
→ フィルターがかかっているから、より重要な情報が抽出されているから受け取れる情報が多くなる説
キャラクター→有限であるがゆえに。行動の全てが内面と照らし合わせて全て見渡せる。
みんな人に共感したり理解したいけど...共感するための軸が一本通ってる
キャラクターは未来へ身を乗り出し、個人的な目標に集中しているので、意識がせばまっている。だが、われわれは本を手にとったりチケットを購入したりしたあと、まずゆったりと腰かけて、キャラクターを取り巻く世界を三百六十度見渡し、それから前かがみになって心の奥底をのぞきこもうとする。
キャラクターは未来に(ここには書いていないが過去にも)接続されている。のか?
人間は未来にも過去にも接続はされていない。
人間→突発的な行動が許される。急に腰掛ける。外から見てわからない気まぐれが許される。一貫性がそこまで必要とされていない?本人的にしか一貫性がわからない。
キャラ→一貫性が開示されている。
ではキャラクターは単純な方がいいのか?
ふだん生きる世界で、おのれの内なる矛盾を限界まで追究する者はほとんどいない。
これをするものがキャラクターってことか?
歴史上の著名人──マルクス・アウレリウス、エイブラハム・リンカーン、エレノア・ローズヴェルト──でさえ、ひとりの人間というよりキャラクターとして記憶されている。それは、死後に伝記作家が小説化し、脚本家が戯曲やシナリオに仕立て、俳優が命を吹きこんだからだ。
人間はキャラクターではないが、キャラクターにすることができる。
われわれが引き寄せられるのは、ふだんの生活で難物たちに手を焼くときのように頭を使わせるキャラクターだ。おかげで、なんとも皮肉なことだが、そのような労力を必要とするキャラクターほど現実味を帯びて感じられる。より特異で、多面的で、予想がつかず、理解しがたいキャラクターほど、魅力的で本物っぽい。ありきたりで、変化がなく、予想がつき、理解しやすいキャラクターほど、現実味もおもしろみもなく、出来の悪い漫画のようだ。
キャラクターであることと人間であることは相反している。
人間味があるほどキャラクターであるが、人間であるほどキャラクターではないらしい。
え〜〜〜!?わかるけどわからない。
ハリーポッター → ハリー側の陣営がいい人ではない。ハリーの父親。
オペラ座の怪人
→ 英雄的ではないのに名作になっているのは???? なぜだ???
→ やばいやつではある。
→ 幸せになっててくれたらいいな......ってなった。←すでに人間として見ている。
→ 一言で感情をまとめきることができない。
→ 共感はなく、身近にいたらガチで怖い人。かわいそうな背景?の人
https://gyazo.com/3c2d2095ebc053b48f6eede3da3819c9
JOKER的な。クソやばい人間だけど生い立ちを見ると。
「ここにいたら自分もこうなる」
われわれ人間とはちがって、キャラクターは多くの助けを得るものだ。ページの上では、文章による鮮やかな描写や台詞が読者のミラーニューロン〔他者の行動を見たときに活動する神経細胞〕に火をつけ、キャラクターの存在感を強める。
ロバート・マッキー. キャラクター (p. 21). (Function). Kindle Edition.
ディズニーのピーターパン / 不思議の国のアリスのキャラクターたちかなりやばい。
共感する余地もない変なやつ。→なのにすごい。
不思議の国のアリス→ドラッグの夢っぽいのに。
アナ雪 →
まず両親。姉妹で隔離する。
アナもエルサも。国封鎖するとか。誇張されている。
ひきこもった人間恐怖症の姉
初対面と結婚する妹
トナカイと会話する独身男性
トゲたちをミュージカルでなだらかにしている。
音楽で話が進む→それ自体がフィクション
ラプンチェルもですね—
盗賊がヒーロー
恋愛リアリティショー
→ 人間がキャラクター化している。複雑な胸中を知ることなくキャラクター化している。
VTuberにおけるキャラクター設定とは???
→ 仮面が剥がれた瞬間にキャラクター化する。
→ 元のキャラの立て付けって仮面剥がれるまでの仮。
不良が猫助けるのと同じ感じがVTuberの仮面剥がれるのとにている感じ。
人間性は容赦なき二項対立によって引き裂かれる──善と悪、愛と憎しみ、利他と利己、賢明と暗愚など、相対するものをあげればきりがない。しかし、ふだん生きる世界で、おのれの内なる矛盾を限界まで追究する者はほとんどいない。
ロバート・マッキー. キャラクター (p. 17). (Function). Kindle Edition.
キャラクターの転換に面白みが生じる。
キャラクターの特徴と深みが継ぎ目なく合わさったとき、その人物は美を放つ。これは、きれいだということではない。きれいさは装飾だが、美は表現だ。
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どれも、すぐれた芸術作品から立ちのぼる感覚を定義しようとしている。作品自体が荒れ狂っていようと暗澹としていようと関係ない。ない。悪役だろうが、ホラー映画に出てくるほど醜かろうが、そのキャラクターの特徴が調和し、全体として意味をなしていれば、どんなに異様なキャラクターでも一種の美を放つ。
「美」の原文の単語気になる〜〜〜beauty, aesthetic value...普通にbeautyかな〜
きれいかどうかではなく、一定の固有の価値があるかどうか、日本語において「美学」と使われる際の「美」の意味。
この特質は、調和(プラトン)、光輝(トマス・アクィナス)、気品(イライジャ・ジョーダン)、鮮明さと安らぎ(ジョン・ラスキン)、不動の平穏(ヘーゲル)などと呼ばれてきた。
ロバート・マッキー. キャラクター (p. 19). (Function). Kindle Edition.
作家のヘンリー・ジェイムズによれば、フィクションを書く唯一の目的は人生に拮抗することだ。同じように考えると、キャラクターを生み出す唯一の目的は、人間というものに拮抗し、現実世界で出会うどんな人よりも複雑で示唆に富む魅力的な人物を作ることだ。
人間に拮抗する!? どういうこっちゃ。
巧みに語られたキャラクターに求めるものはなんだろうか。忘れえぬ人物を通して、自分ではけっして送れない人生を体験することだ。ロバート・マッキー. キャラクター (p. 20). (Function). Kindle Edition.
のところ、巧みに書かれたキャラクターは夢で見るイメージと同じで、現実の人間より生々しい。というのも、どの程度の写実性で描かれようと、キャラクターは核心では人間性の象徴そのものだからだ。
キャラクター = 人間性の象徴、humanity
心は意味づけを求めるのに、現実には明確なはじまりも中間も終わりもない。ストーリーにはそれらがある。自分の心の奥底にあるものや、他者の内奥に秘められた自己を思いのままに見通したいと願っても、現実世界ではだれもが内にも外にも仮面をかぶっている。キャラクターはちがう。顔をさらけ出して物語に登場し、透明になって去っていく。
途中まではわかるけど「透明になって去っていく」ってどういうこっちゃ。
終わるってことかなあ。
アークを完了して終わる。
すべてを開示して物語が終わる。
ストーリーはキャラクターであり、キャラクターはストーリーである。
たまねぎの断面みたいな感じか。一つの物語を「ストーリー」で切った時に見えるものと、「キャラクター」で切った時に見えるものは異なるが、その切っている角度が違うのみでしかない。
https://gyazo.com/400de088ceeb2039937584accb3aff1b
人々を愛そうと憎もうと、社会を観察しようと研究しようと、けっして他者を自分自身のようには理解できないものだ。他者の意識のなかで生きる技術が科学によって開発される日まで、われわれは互いに遠く離れて日々を暮らし、他者の表情をうかがいつつ、何も映らない目を前へ向けてひとりきりで生きていく。
ロバート・マッキー. キャラクター (p. 29). (Function). Kindle Edition.
すぐれたキャラクターを作る過程は、自己認識にはじまって自己認識に終わる。自分の本質をどう見ているか──表向きの人柄に隠された真の自我としてなのか、あるいは、たゆたう現実に乱されない中核としてなのか──にかかわらず、作家は独立した唯一無二の存在だ。作家が自分の作るキャラクターの内なる変化を推測するには、自己認識の中心に立つしかない。
内から出るもので作れって言っている。
自分が共感できないキャラを作るな???
プペル批判
作者の葛藤があるほどいい作品であるとしたら、プペルにはそれがない。
みんなが賛成して作者も悩んでいない帰着があるから??
インザメガチャーチ
誰にも共感がされないまま終わった感覚?
JOKER。どんなにやばいやつを描こうとしてもそこに共感がある。思想がありそうな感じに見える。作者の考えがありそう。
自分からしか抽出できない「何か」を軸にするべきである。と主張している?
初期値。自分の思想を初期値。Seed値として入れて
ストーリーに入れたときに出来上がるキャラクターを作ろう。みたいな???
稚拙に描かれたキャラクターは、どこのだれでもない人物を表現する。紋切り型のキャラクターは、どこかの他人が好む人物を表現する。 ||||| 唯一無二のキャラクターは、われわれ自身が好む人物を表現する。共感を呼ぶキャラクターは、われわれの真の姿を表現する。
至言すぎる。これを掲げよう。
← 私はなぜこれを至言だと思う?????
モノマネ芸人→
紋切り型のキャラ説?→
われわれが引き寄せられるのは、ふだんの生活で難物たちに手を焼くときのように頭を使わせるキャラクターだ。おかげで、なんとも皮肉なことだが、そのような労力を必要とするキャラクターほど現実味を帯びて感じられる。より特異で、多面的で、予想がつかず、理解しがたいキャラクターほど、魅力的で本物っぽい。ありきたりで、変化がなく、予想がつき、理解しやすいキャラクターほど、現実味もおもしろみもなく、出来の悪い漫画のようだ.
P18
アイディアには寿命があり、たいていは短命だ。そのためストーリーは錆びつきやすく、時代と密接にかかわる内容のものほど寿命が短い。どれほどすぐれたストーリーであろうと、廃れさせないためには、時代に即した再解釈が絶えず求められる。 長く残るのはキャラクターだ。
P19
まずは厳選2箇所です!!
現実の人間はわれわれに直接的であからさまな影響を与えるが、キャラクターは想像の中に滑り込んでさりげなく心を動かす→直接的であからさまなキャラクターは良いキャラではないのか
ストーリーの枠内に収まっているかぎり、キャラクターは本人のままでありつづけ、ストーリーの到達点を超えて変化することは決してない→物語におけるキャラクターのお話なのか?SNSから始まるキャラクターとは少し違ったものがありそう。物語という土台の上にキャラクターが乗っかっているイメージなのか?
すぐれたキャラクターはその元になる人間よりも重層的かつ立体的で、興味をひきやすい。→キャラクターには元になる人間が必要なのか?重層的かつ立体的とは?情報量が多ければ立体的なのか?
身の回りにいる人間と比べて、キャラクターは多くのことをわれわれに伝える。→ことば、行動、深くに秘められた思いや望み、サブテクストまでもがわかってくる→大ヒットキャラには確かに共通しているかも
労力を必要とするキャラクターほど現実味を帯びて感じられる。より特異で、多面的で、予想がつかず、理解し難いキャラクターほど魅力的で本物っぽい。→労力を必要とするキャラクターほど時間がかかるという側面もあるよなあ…時代性とマッチしてるのか?
巧みに語られたキャラクターに求めるものはなんだろうか。忘れえぬ人物を通して、自分では決して送れない人生を体験することだ。→たしかに
すぐれたキャラクターを作る過程は、自己認識にはじまって自己認識に終わる。→5章で詳しく書いてそうで気になる
稚拙に描かれたキャラクターは、どこのだれでもない人間を表現する。紋切り型のキャラクターはどこかの他人が好む人物を表現する。唯一無二のキャラクターは、われわれ自身が好む人物を表現する。共感を呼ぶキャラクターはわれわれの真の姿を表現する。→覚えておきたい
ふだんの生活では決してたどり着けないところへいざなう運び手はキャラクターであり、空想の旅を動かす燃料は共感である。→共感はかなり重要視されているみたい。これはキャラクターに対する共感であり、物語や題材に対する共感ではないということなんだろうな
芸術家は不快さに敏感でなくてはならない
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人間は自分自身を体現し、キャラクターは人間の精神を象徴する。
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すぐれた架空の人物を描くには、徹底した集中力と、心理を鋭く見抜く力が求められる。われわれが引き寄せられるのは、ふだんの生活で難物たちに手を焼くときのように頭を使わせるキャラクターだ。おかげで、なんとも皮肉なことだが、そのような労力を必要とするキャラクターほど現実味を帯びて感じられる。より特異で、多面的で、予想がつかず、理解しがたいキャラクターほど、魅力的で本物っぽい。
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ストーリーは人生の隠喩であり、存在の本質を表現する。キャラクターは人間性の隠喩であり、変化の本質を表現する。
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キャラクターを生み出す唯一の目的は、人間というものに拮抗し、現実世界で出会うどんな人よりも複雑で示唆に富む魅力的な人物を作ることだ。
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すぐれたフィクションを生み出すには、自分が書く物語の設定、歴史、登場人物について神同然の知識を持たなくてはならない。
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観察によって得られる着想は表面的であり、そこからさらに深めるには、作家が自分なりの視点を加えて、そこにないもの、奥底に眠っているもの、まだだれも見つけていない隠れた真実を知る必要がある。
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人とちがうことをしたいと思っても、多くの場合、ちがいは些細なもので、そのうえ物語を悪いほうへ変えてしまう。画期的なことをしようとしてもたいがい失敗するのは、実のところ、すでにだれかが試みていて、陳腐と受け止められるからだ。
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真の革新とは何を表現するかであって、どう表現するかではない──新しいことをするのであって、昔からあることを新しい手法でするのではない。
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モダニズムやポストモダニズムがきわめて独創的だったのは、それまで見逃されていた題材を世に知らしめ、一般常識を覆して、われわれの人生観の変化に再注目したからだ。
ページ26 ·位置302
クリシェとは、あるアイディアや技巧が、考案された当初はとてもよかった──というより、極上だった──せいで、何十年にもわたって繰り返し繰り返し再利用されてきたものだ。 最低でも、自分が取り組む芸術形式の歴史は知る必要がある。クリシェを見たとき、そしてさらに重要なことだが、自分がクリシェを書いたときにそうだと気づく目が、芸術には欠かせない。
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執筆中以外では、作家はよくいる書き手であってよい。それはつまり、欠点だらけの厄介者で、周囲からはた迷惑で気むずかしいと見なされる人物だ。しかし、いざ執筆をはじめると変化が起こる。キーボードに指を置いたとたん、作家は最も賢明で感受性の高い自分となる。才能と集中力、そして何より誠実さが最高潮に達する。最良の自分であるとき、作家は的を射た着想や見識をキャラクターに注ぎこむことができる。
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すぐれたキャラクターを作る過程は、自己認識にはじまって自己認識に終わる。
ページ29 ·位置344
作家が自分の作るキャラクターの内なる変化を推測するには、自己認識の中心に立つしかない。言い換えれば、われわれが手にできるのは自分が知りうるただひとつのむき出しの精神だ。だから、すぐれたキャラクターを作る過程は、自己認識にはじまって自己認識に終わる。
・キャラクターは過去を入れた器として、未来のためのスポンジとしてストーリーに入り、確信まで永遠に記憶してもらうために、その本質が目いいっぱい現れるように書き込まれ、演じられる。
・雷が何もない土地に落ちても無意味だが、旅人に落ちれば大変な事態だ。出来事にキャラクターが加わったとたん、感情のない自然に命が吹き込まれる。
p26の例えばウォルター・ホワイトは〜からのところ面白い
09:12「自分を知りたがる青虫がいたらそいつは決して蝶にはなれないだろう←議論したい 主人公っぽい人。キャラっぽい人。よそ見をせず何かを見ている人。こっち側を見ない人。
見てて面白い人。自己理解以上に何かに夢中になっている人。
フロクロ
設楽さん
キャラっぽい人
うじくん まるそう フロクロ ましのみ bivi
主人公っぽい
ソクラテスの「汝自身を知れ」という金言に対し、三人の著名な作家がつぎのように答えた。「『汝自身を知れ』だと。自分のことなど知ろうものなら、わたしは逃げ出してしまうだろうな」(ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ)、「自分を知りたがる青虫がいたら、そいつはけっして蝶にはなれないだろう」(アンドレ・ジッド)、「人間の本質について知っていることは、すべて自分自身から学んだ」(アントン・チェーホフ)。
ロバート・マッキー. キャラクター (p. 29). (Function). Kindle Edition.
仮説: ものまねが得意な人はキャラが作れるか?
YouTubeで演者タイプと編集者タイプ
ヒカキン→編集者タイプ
セイキン→演者タイプ
東海オンエア
てつや / 虫眼鏡→編集者
としみつ→演者