脳天大神御縁起_引用
「御示現」
脳天大神様は金峯山寺初代管長 故 五條覚澄大僧正が霊感感得されました頭脳の守護神であります。
覚澄大僧正はお瀧のある修行の場所を探し求められる中、現在大神様が鎮座されている谷がその最適の場所であると考えられ、その後、行場の開発に取り組まれることとなりますが、その最中に頭を割られた蛇に遭遇され、それを哀れに思われて丁寧に経文を唱えて葬られました。その後、その蛇が何度も夢枕に立たれお礼を言われます。最後には「頭の守護神として祀られたし」という霊言を覚澄大僧正は聞かれます。
また、それと同時期に蔵王権現様から「諸法神事妙行得菩提(しょほうしんじみょうぎょうとくぼだい)」と云う御霊言も授かられます。
実際に現れてこられたのは頭を割られた蛇でありますが、蔵王堂(ざおうどう)のご本尊蔵王権現様が姿を変えて出現されたのであります。その後、昭和二十六年に現在の場所にお祀りされたのであります。
(引用おわり)
少し長くなりますが
より詳しい旧パンフレットからも引用します。
『女人行場』
終戦後、当時の金峯山寺管長であった五條覚澄大僧上猊下は増え続ける女性の信徒の為に、良い行場が必要であるとお考えになられました。なぜなら男性には大峰山(山上ケ岳)という1300年に亘る女人禁制の行場があるのですが女性には良い行場がなかったからです。蔵王堂の西側の谷はその昔「暗り谷」「地獄谷」と称せられ、人のめったには入り込まない不気味な場所でありました。南朝の昔、護良親王がこの谷から川に足を取られ岩を伝い高野山の方におちられた場所でもあります。
さて女性の行場の第一として覚澄大僧上は現在、仏舎利殿から脳天大神に下りる階段の途中にあるお滝を開かれました。ある夜丑満の刻、27・8歳位の美女が夢枕に立たれお滝の周りに、「大峯山上と同じ行場が顕現すべし」との霊示を受けられました。
大峯山は正しくは 「山上ケ岳」と言い、修験道の開祖である役の行者が開かれた霊山です。そのお山にある行場と同じ行場があの石段の途中に現れるというのです。その霊示を与えた神様は「岩峯大神」と言い、「初子」と名乗られました。現在「岩峯大神」としてお社が建てられています。
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『御示現』
そのお滝も夏には水が枯れる欠点があり、より良いお滝をと川のふちに新たなお滝を計画されました。そのお滝が多くの人々の奉仕で、完成となり、いよいよ明日の正午に落水という日、山を下りてこられた覚澄大僧上はその途中2メートル余りの大蛇が頭を割られ目が飛び出して死んでいるのを見つけられました。まわりの子供たちに手伝わせその蛇を川の淵にある小さな洞窟に安置し回向を手向けられました。
次の日「金龍王の滝」の滝開きが行なわれた時、目の前の深い淵をあの頭を割られ死んだ筈の大蛇が頭を割られたまま川の中を泳いでいるではありませんか、余りの不思議さに一同驚く他ありませんでした。
それから毎夜、覚澄大僧上はその大蛇の訪問を受け始めたのです。深夜2時天井に何者かが落ちる物音に目を覚まされると、あの頭を割られた大蛇がありありと眼前に現れるのでした。あまりの不思議さに一心にお経をとなえられると何時とはなしに、消えさるのでした。そんな日の続く数日後、何時ものように現れた大蛇は「是非一度ほうむられた洞窟に来られよ」と言葉をかけられました。7月1日夕刻5時頃に約束どおりその場所におもむくとそこにはあの頭を割られた大蛇が「トグロ」を巻いて厳然として待ちかまえていたのでした。
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『諸法神事妙行得菩提』
そしてさらに不思議なことにその大蛇は「6月21日に貴方が蔵王権現より賜れた呪文を唱えられたし」と言うではありませんか。その呪は「諸法神事 妙行得菩提」と言う一偈です。この意味は、諸法はつまり一切の仏法、神事は「かみごと」つまり神道のことです。仏様も神様も両方おがむのが開祖役行者様の教えであり修験道の根本なのです。
明治の神仏分離令までは我が国では神も仏も共におそれ敬っておりました。比叡山や高野山でも神様とは切り離せないお山なのです。本当の信仰の道は神、仏を分けるのではなく共におそれ敬うところの中に見出されるのです。一つの教えや宗派を超越したところに真の神、仏がさとられると言うことです。仏法も神道もどちらも妙なる行法であり悟りの道なのです。
この「諸法神事 妙行得菩提」の言葉の中には全ての神の教え、仏の教えが含まれているので、この言葉を唱えることによって仏様も神様も迷える我々、苦しむ我々をお助けくださるのであります。この傷ついた大蛇はこの言葉を唱えることによって頭を割られる苦しみも助かるのだと言うことを大僧上に知らしめたのであります。
それからはその大蛇は毎夜現れることはなくなりました。しかし数日後僧上はついに大神様から祭祀を命ぜられたのです。「まつられたし、まつられたし、われは頭を割られた山下の蛇である。蔵王の変化身である。脳天大神としてまつられたし、首から上のいかなる難病苦難も救うべし。」蔵王大権現様が悩み苦しむ人々を救う為に今新たに脳天大神として姿を変え現れたまわれたのです。
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『金剛蔵王大権現』
蔵王権現様は正しくは 「こんごうざおうだいごんげん」と申されます。今から1300年前に当山の開祖である役行者神変大菩薩様 (えんのぎょうじや じんべんだいぼさつ)により感得せられました。過去(釈迦)、現在(観音)、 未来(弥勒)の三世にわたって衆生を済渡すると言う大誓願をもたれておられ、お釈迦様、観音菩薩様、弥勒菩薩様が一つになつたお姿です。
国宝である蔵王堂には三体の蔵王様がおまつりされておられます。脳天大神様にお参りされる時は蔵王権現様にお参りされることも大事なことです。
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『オンソラソバティ エイソワカ』
この御真言は弁財天様と同じ御真言です。弁財天のお姿は琵琶を持った女神で現されることが多いのですが、もう一つ龍体で現されることもあります。大峯山系は吉野から熊野まで大きな一つの龍体であると説かれており山上ケ岳には「龍の口」吉野には「龍の尾」という地名があります。この様に当山は龍体とは密接なつながりがあります。脳天大神様も頭を割られた大蛇の姿で出現されました。これは龍体で出現されたと言うことであります。その様なところからこの御真言をもって脳天大神様の御真言とされたのです。脳天大神様に御参拝の時にはこの御真言と「諸法神事 妙行得菩提」の両方の御真言をおとなえしてお参りいたします。
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『首から上の守り神』
首から上がなくては人間生きてゆけません。頭と顔があってこその人間です。その最も大切なところを守護し、また難病苦難も救うという誓願をされたのが脳天大神様です。その御誓願により我々は救われてゆくのです。単なる首から上の病気に止まらずあらゆる悩み、苦悩をも解決していただけるのが脳天大神様です。一心に脳天大神様にすがり、祈るところかならずや、救いの手がさしのべられるのです。神様が「救う」と誓われたことに我々は一心の信仰で応えなければなりません。
脳天大神様の不思議をいただかれた方の枚挙にはいとまがありません。それは毎日曜、祭日、月例祭、そして各大祭での大勢の祈願や御礼の祈りによくあらわれております。この吉野の狭い谷の奥に何故多くの人がおしかけるのか、それは脳天大神様の御霊徳と言うほかありません。首から上の病気にとどまらず、頭で悩むなやみごと、頭で願うねがいごと、またあらゆる試験の合格祈願の大祈祷所として「吉野の脳天さん」として親しまれ、全国各地からの参拝が一年中絶えません。また女人の行場として 「お滝」を受けられる方、お百度をふまれる方も絶えないのであリます。
金峯山寺 脳天大神 龍王院 しおり より