ダンマパダ
ダンマパダ
394 愚者よ、螺髪を結うて何になるのだ。かもしかの皮をまとって何になるのだ。汝は内に密林(汚れ)を蔵して外側だけを飾る(ダンマパダ)
386 静かに思い、塵垢なく、落ち着いて、なすべきことをなしとげ、煩悩を去り、最高の目的に達した人、彼をわれはバラモンと呼ぶ(ダンマパダ)
385 彼岸もなく、此岸もなく、彼岸・此岸なるものもなく、怖れもなく、束縛もない人、彼をわれはバラモンと呼ぶ(ダンマパダ)
383 バラモンよ。流れを断て。勇敢であれ。諸の現象の消滅を知って、作られざるもの(ニルヴァーナ)を知る者であれ(ダンマパダ)
380 実に自己は自分の主である。自己は自分のよるべである。ゆえに自己をととのえよ。商人が良い馬を調教するように(ダンマパダ)
379 みずから自分を励ませ。みずから自分を反省せよ。修行僧よ、自己を護り、正しい念いをたもてば、汝は安楽に住するであろう(ダンマパダ)
377 修行僧らよ。ジャスミンの花が萎れた花びらを捨て落とすように、貪りと怒りとを捨て去れ(ダンマパダ)
376 その行ないが親切であれ。何ものでも分かち合え。善いことを実行せよ。そうすれば喜びに満ち、苦悩を滅すであろう(ダンマパダ)
374 個人存在を構成している諸要素の生起と消滅とを正しく理解するのに従って、その不死のことわりを知り得た人々にとっての喜びと悦楽なるものを、彼は体得する(ダンマパダ)
371 修行僧よ。瞑想せよ。なおざりになるな。汝の心を欲情の対象に向けるな。なおざりのゆえに鉄丸を呑むな。灼熱した鉄丸で焼かれるときに「これは苦しい」といって泣き叫ぶな(ダンマパダ)
369 修行僧よ。この舟から水を汲み出せ。汝が水を汲み出したならば、舟は軽やかに、やすやすと進むであろう(ダンマパダ)
367 名称とかたちについて「わがもの」という思いが全く存在しないで、何ものも無いからとて憂えることのない人、彼こそ修行僧と呼ばれる(ダンマパダ)
365 自分の得たものを軽んじてはならない。他人の得たものを羨むな。他人を羨む修行僧は心の安定を得ることができない(ダンマパダ)
363 口を慎み、思慮して語り、心が浮つくことなく、事柄と真理とを明らかにする修行僧、彼の説くところはやさしく甘美である(ダンマパダ)
362 手を慎み、足を慎み、ことばを慎み、最高に慎み、内心に楽しみ、心を安定統一し、ひとりで居て、満足している。その人を修行僧と呼ぶ(ダンマパダ)
361 身について慎むのは善い。ことばについて慎むのは善い。心について慎むのは善い。あらゆることについて慎むのは善いことである。修行僧はあらゆる事柄について慎み、すべての苦しみから脱れる(ダンマパダ)
349 あれこれ考えて心が乱れ、愛欲が激しくうずくのに、愛欲を浄らかだと見なす人には、愛執がますます増大する。この人は実に束縛の絆を堅固たらしめる(ダンマパダ)
348 前を捨てよ。後を捨てよ。中間を捨てよ。生存の彼岸に達した人は、あらゆる事柄について心が解脱していて、もはや生れと老いとを受けることがないであろう(ダンマパダ)
340 愛欲の流れは至るところに流れる。欲情の蔓草は芽を生じつつある。その蔓草が生じたのを見たならば、智慧によってその根を断ち切れ(ダンマパダ)
338 たとえ樹を切っても、もしも頑強な根を断たなければ、樹は再び成長するように、妄執(渇愛)の根源となる潜勢力を滅ぼさないならば、この苦しみは繰り返し現れ出る(ダンマパダ)
335 この世において執着のもとであるこのうずく愛欲のなすがままである人は、諸々の憂いが増大する。雨が降ったあとにはビーラナ草がはびこるように(ダンマパダ)
334 ほしいままの振る舞いをする人には愛執が蔓草のようにはこびる。林の中で猿が果実を探し求めるようにあちこちにさまよう(ダンマパダ)
329 しかし、もしも思慮深く聡明でまじめな生活をしている人を伴侶として共に歩むことができないならば、国を捨てた国王のように、また林の中の象のように、ひとり歩め(ダンマパダ)
328 もしも思慮深く聡明でまじめな生活をしている人を伴侶として共に歩むことができるならば、あらゆる危機困難に打ち克って、こころ喜び、思いを落ち着けて、ともに歩め(ダンマパダ)
327 努めはげむのを楽しめ。おのれの心を護れ。自己を難処から救い出せ。泥沼に落ち込んだ象のように(ダンマパダ)
326 この心は、以前には望むがままに、欲するがままに、快きがままに、さすらっていた。今や私はその心をすっかり抑制しよう(ダンマパダ)
321 馴らされた象は戦場にも連れて行かれ、王の乗り物ともなる。世の謗りを忍び、自らをおさめた者は、人々の中にあっても最上の者である(ダンマパダ)
320 戦場の象が、射られた矢にあたっても堪え忍ぶように、われはひとの謗りを忍ぼう(ダンマパダ)
315 辺境にある城壁に囲まれた年が内も外も守られているように、そのように自己を守れ。瞬時も空しく過ごすな(ダンマパダ)
314 悪いことをするよりは、何もしないほうがよい。悪いことをすれば後で悔いる。単に何かの行為をするよりは、善いことをするほうがよい。なし終わって後で悔いがない(ダンマパダ)
313 もしもなすべきことであるならば、それをなすべきである。それを断固として実行せよ。行ないの乱れた修行者は、一層多くの塵を撒き散らす(ダンマパダ)
305 ひとり坐し、ひとり臥し、ひとり歩み、なおざりになることなく、わが身をととのえて、林の中でひとり楽しめ(ダンマパダ)
293 常に身体の本性を思い続けて、なすべからざることをなさず、なすべきことを常になして、心がけて、自ら気をつけている人々には諸々の汚れがなくなる(ダンマパダ)
292 なすべきことをなおざりにし、なすべからざることをなす、遊び戯れ放逸なる者どもには汚れが増す(ダンマパダ)
290 つまらぬ快楽を捨てることによって、広大なる楽しみを見ることができるのであるなら、心ある人は広大な楽しみをのぞんで、つまらぬ快楽を捨てよ(ダンマパダ)
287 子どもや家畜のことに気を奪われて心がそれに執着している人を、死はさらって行く。眠っている村を大洪水が押し流すように(ダンマパダ)
286 「私は雨期にはここに住もう。冬と夏にはここに住もう」と愚者はこのようにくよくよと慮って、死が迫ってくるのに気がつかない(ダンマパダ)
283 一つの樹を伐るのではなくて、煩悩の林を伐れ。危険は林から生じる。煩悩の林とその下生えとを切って、林から脱れた者となれ(ダンマパダ)
282 実に心が統一されたならば、豊かな智慧が生じる。心が統一されないならば、豊かな智慧が滅びる。生ずることと、滅びることのこの二種の道を知って、豊かな智慧が生ずるように自己をととのえよ(ダンマパダ)
281 言葉を慎み、心を落ち着けて慎み、 身に悪を為してはならない。これら三つの行ないの路を浄く保つならば、仙人の説きたもうた道を克ち得るであろう(ダンマパダ)
279 「一切の事物は我ならざるものである」と明らかな智慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。これこそが人が清らかになる道である(ダンマパダ)
278 「一切の形成されたものは苦しみである」と明らかな智慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。これこそが人が清らかになる道である(ダンマパダ)
277 「一切の形成されたものは無常である」と明らかな智慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。これこそが人が清らかになる道である(ダンマパダ)
276 汝らはみずからつとめよ。諸々の如来(修行を完成した者)はただ教えを説くだけである(ダンマパダ)
271 私は出離の楽しみを得た。それは、戒律や誓いだけによっても、また博学によっても、また瞑想を体現しても、またひとり離れて臥すことによっても、得られないものである。修行僧よ、汚れが消え失せない限りは油断するな(ダンマパダ)
265 大きかろうとも小さかろうとも悪をすべてとどめた人は、諸々の悪を静め滅ぼしたのであるから、道の人と呼ばれる(ダンマパダ)
260,261 頭髪が白くなったからとて長老なのではない。ただ年をとっただけならば「空しく老いぼれた人」と言われる。誠あり、徳あり、慈しみがあって、害わず、慎みあり、自らととのえ、汚れを除き、気をつけている人こそ長老と呼ばれる(ダンマパダ)
259 多くを説くからとて、それゆえに彼が道を実践している人なのではない。たとい教えを聞くことが少なくても、身をもって真理を見る人、怠って道から外れることのない人、かれこそ道を実践している人である(ダンマパダ)
258 多くを説くからとて、それゆえに彼が賢者なのではない。心穏やかに、怨むことなく、恐れることない人、彼こそ賢者と呼ばれる(ダンマパダ)
253 他人の過失を探し求め、つねに怒りたける人は、煩悩の汚れが増大する。彼は煩悩の汚れの消滅から遠く隔たっている(ダンマパダ)
252 他人の過失は見やすいけれども、自己の過失は見難い。人は他人の過失を籾殻のように吹き散らす。しかし自分の過失は隠してしまう(ダンマパダ)
249 人は信ずることろにしたがって、清き喜びにしたがって、施しをなす。だから他人のくれた食物や飲料に満足しない人は、昼も夜も心の安らぎを得ない(ダンマパダ)
244,245 恥を知らず、鴉のように厚かましく、図々しく、ひとを責め、大胆で、心のよごれた者は、生活し易い。恥を知り、常に清きを求め、執着を離れ、慎み深く、真理を見て暮らす者は、生活し難い(ダンマパダ)
243 無明こそ最大の汚れである。修行僧らよ、この汚れを捨てて、汚れなき者となれ(ダンマパダ)
241 読誦しなければ聖典が汚れ、修理しなければ家屋が汚れ、身なりを怠るならば容姿が汚れ、なおざりになるならば、つとめ慎む人が汚れる(ダンマパダ)
240 鉄から起った錆が、それから起ったのに、鉄自身を損なうように、悪をなしたならば、自分の業が罪を犯した人を悪いところに導く(ダンマパダ)
239 聡明な人は順次に少しずつ、一刹那ごとに、おのが汚れを除くべし。鍛冶工が銀の汚れを除くように(ダンマパダ)
235,236 汝はいま死出の門路に立っている。しかし汝には旅の資糧さえも存在しない。だから自己の拠り所をつくれ。すみやかに努めよ。賢明であれ。汚れをはらい、罪過がなければ、天の尊い処に至るであろう(ダンマパダ)
234 落ち着いて思慮ある人は身をつつしみ、言葉をつつしみ、心をつつしむ。このように彼らは実によく己れをまもっている(ダンマパダ)
233 心がむらむらするのを、まもり落ち着けよ。心について慎んでおれ。心による悪い行ないを捨てて、心によって善行を行え(ダンマパダ)
232 言葉がむらむらするのを、まもり落ち着けよ。言葉について慎んでおれ。言葉による悪い行ないを捨てて、言葉によって善行を行え(ダンマパダ)
231 身体がむらむらするのを、まもり落ち着けよ。身体について慎んでおれ。身体による悪い行ないを捨てて、身体によって善行を行え(ダンマパダ)
228 ただ誹られるだけの人、またただ褒められるだけの人は、過去にもいなかったし、未来にもいないであろう。現在にもいない(ダンマパダ)
227 アトゥラよ、これは昔にも言うことであり、いまに始まることでもない。沈黙している者も非難され、多く語る者も非難され、すこしく語る者も非難される。世に非難されない者はいない。(ダンマパダ)
224 真実を語れ。怒るな。請われたならば、乏しいなかから与えよ(ダンマパダ)
223 怒らないことによって怒りにうち勝て。善いことによって悪いことにうち勝て。わかち合うことによって物惜しみにうち勝て。真実によって虚言の人にうち勝て(ダンマパダ)
221 怒りを捨てよ。慢心を除き去れ。いかなる束縛をも超越せよ。名称と形態とにこだわらず、無一物となった者は、苦悩に追われることがない(ダンマパダ)
217 徳行と見識をそなえ、法にしたがって生き、真実を語り、自分のなすべきことを行う人は、人々から愛される(ダンマパダ)
215,216 欲情から憂いが生じ、欲情から恐れが生ずる。欲情を離れたならば、憂いは存在しない。妄執から憂いが生じ、妄執から恐れが生ずる。妄執を離れたならば、憂いは存在しない(ダンマパダ)
213,214 愛情から憂いが生じ、愛情から恐れが生ずる。愛情を離れたならば、憂いは存在しない。快楽から憂いが生じ、快楽から恐れが生ずる。快楽を離れたならば、憂いは存在しない(ダンマパダ)
212 愛するものから憂いが生じ、愛するものから恐れが生ずる。愛するものを離れたならば、憂いは存在しない(ダンマパダ)
210,211 愛する人と会うな。愛しない人とも会うな。愛する人に会わないのは苦しい。また愛しない人に会うのも苦しい。それ故に愛する人を作るな。愛する人を失うのは禍いである。愛する人も憎む人もいない人々にはわずらいの絆が存在しない(ダンマパダ)
209 道に違うことに馴染み、道に従ったことに勤しまず、目的を捨てて快いことだけを取る人は、みずからの道に沿って進む者を羨むに至る(ダンマパダ)
208 よく気をつけていて、明らかな智慧あり、学ぶところ多く、忍耐強く、戒めをまもる、そのような立派な聖者・善き人、英知ある人に親しめよ。月が諸々の星の進む道にしたがうように(ダンマパダ)
203 飢えは最大の病であり、形成せられた存在(我が身)は最もひどい苦しみである。このことわりをあるがままに知ったならば、ニルヴァーナという最上の楽しみがある(ダンマパダ)
201 勝利からは怨みが起る。敗れた人は苦しんで臥す。勝敗を捨てて、安らぎに帰した人は、安らかに臥す(ダンマパダ)
197 怨みを抱いている人々のあいだにあって怨むことなく、われらは大いに楽しく生きよう。怨みを抱いている人々のあいだにあって怨むことなく、われらは暮らしていこう(ダンマパダ)
190,191 悟れる者と真理のことわりと聖者の集いとに帰依する人は、正しい智慧をもって四つの尊い真理を見る。即ち、苦しみと、苦しみの成り立ちと、苦しみの超克と、苦しみの終滅におもむく八つの尊い道(八正道)とを見る(ダンマパダ)
188,189 人々は恐怖にかられて、山々、林、園、樹木、霊樹など多くのものにたよろうとする。しかしこれは安らかな拠り所ではない。これは最上の拠り所ではない。それらの拠り所によってあらゆる苦悩から免れることはできない(ダンマパダ)
186 たとえ貨幣の雨を降らすとも、欲望の満足されることはない(ダンマパダ)
185 罵らず、害わず、戒律に関しておのれを守り、食事に関して量を知り、淋しいところにひとり臥し、坐し、心に関することにつとめはげむ。これが諸々のブッダの教えである(ダンマパダ)
183 すべて悪しきことをなさず、善いことを行ない、自己の心を浄めること。これが諸の仏の教えである(ダンマパダ)
173 以前には悪い行ないをした人でも、のちに善によって償うならば、その人はこの世の中を照らす。雲を離れた月のように(ダンマパダ)
172 以前には怠りなまけていた人でも、のちに怠りなまけることが無いなら、その人はこの世の中を照らす。あたかも雲を離れた月のように(ダンマパダ)
171 さあ、この世の中を見よ。王者の車のように美麗である。愚者はそこに耽溺するが、心ある人はそれに執着しない(ダンマパダ)
170 世の中は泡沫のごとしと見よ。世の中はかげろうのごとしと見よ。世の中をこのように観ずる人は、死王も彼を見ることがない(ダンマパダ)
168 奮い立てよ。怠けてはならぬ。善い行ないのことわりを実行せよ。ことわりに従って行う人は、この世でもあの世でも安楽に臥す(ダンマパダ)
167 下劣なしかたに馴染むな。怠けてふわふわと暮らすな。邪な見解を抱くな。世俗のわずらいを増やすな(ダンマパダ)
166 たとい他人にとっていかに大事であろうとも、他人の目的のために自分のつとめを捨て去ってはならぬ。自分の目的を熟知して、自分のつとめに専念せよ(ダンマパダ)
165 みずから悪をなすならば、みずから汚れ、みずから悪をなさないならば、みずから浄まる。浄いのも浄くないのも、各自のことがらである。人は他人を浄めることができない(ダンマパダ)
163 善からぬこと、己のためにならぬことは、なし易い。ためになること、善いことは、実に極めてなし難い(ダンマパダ)
160 自己こそ自分の主である。他人がどうして自分の主であろうか。自己をよくととのえたならば、得難き主を得る(ダンマパダ)
159 他人に教える通りに、自分でも行え。自分をよくととのえた人こそ、他人をととのえるであろう。自己は実に制し難い(ダンマパダ)
158 まず自分を正しくととのえ、次いで他人を教えよ。そうすれば賢明な人は、煩わされて悩むことがないであろう(ダンマパダ)
157 もしも人が自己を愛しいものと知るならば、自己をよく守れ(ダンマパダ)
152 学ぶことの少ない人は、牛のように老いる。彼の肉は増えるが、彼の智慧は増えない(ダンマパダ)
151 いとも麗しき国王の車も朽ちてしまう。身体もまた老いに近づく。しかし善い立派な人々の徳は老いることがない(ダンマパダ)
147 見よ、粉飾された形体を。それは傷だらけの身体であって、いろいろのものが集まっただけである。病に悩み、意欲ばかり多くて、堅固でなく、安住していない(ダンマパダ)
146 汝らは暗黒に覆われている。どうして燈明を求めないのか(ダンマパダ)
145 水道をつくる人は水をみちびき、矢をつくる人は矢を矯め、大工は木材を矯め、慎み深い人々は自己をととのえる(ダンマパダ)
144 鞭をあてられた良い馬のように勢いよく努め励めよ。信仰により、戒めにより、はげみにより、精神統一により、真理を確かに知ることにより、智慧と行ないを完成した人々は、思念をこらし、この少なからぬ苦しみを除けよ(ダンマパダ)
143 みずから恥じて自己を制し、良い馬が鞭を気にかけないように世の非難を気にかけない人が、この世に誰か居るだろうか(ダンマパダ)
142 身の装いはどうあろうとも、行ない静かに、心おさまり、身をととのえて、慎み深く、行い正しく、生きとし生けるものに対して暴力を用いない人こそ<バラモン>とも<道の人>ともまた<托鉢遍歴僧>ともいうべきである(ダンマパダ)
136 愚かな者は、悪い行いをしておきながら、気がつかない。浅はかな愚者は自分自身のしたことによって悩まされる(ダンマパダ)
130 すべての者は暴力におびえる。すべての生きものにとって生命は愛しい。己が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ(ダンマパダ)
129 すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。己が身をひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ(ダンマパダ)
128 大空の中にいても、大海の中にいても、山の中の洞窟に入っても、およそ世界のどこにいても、死の脅威のない場所はない(ダンマパダ)
127 大空の中にいても、大海の中にいても、山の中の奥深い所に入っても、およそ世界のどこにいても、悪業から脱れることのできる場所はない(ダンマパダ)
124 もしも手に傷が無いならば、その人は手で毒を取り去ることもできるであろう。傷の無い人に毒は及ばない。悪をなさない人には、悪の及ぶことがない(ダンマパダ)
122 「その報いは私には来ないであろう」と思って善を軽んずるな。水が一滴ずつ滴り落ちるならば、水瓶でも満たされる。気をつけている人は、水を少しずつでも集めるように善を積むならばやがて福徳に満たされる(ダンマパダ)
121 「その報いは私には来ないであろう」と思って悪を軽んずるな。水が一滴ずつ滴り落ちるならば、水瓶でも満たされるのである。愚かな者は、水を少しずつでも集めるように悪を積むならばやがてわざわいに満たされる(ダンマパダ)
120 まだ善の報いが熟しない間は、善人でもわざわいに遇うことがある。しかし善の果報が熟したときには、善人は幸福に遇う(ダンマパダ)
119 まだ悪の報いが熟しない間は、悪人でも幸運に遇うことがある。しかし悪の報いが熟したときには、悪人はわざわいに遇う(ダンマパダ)
118 人がもしも善いことをしたならば、それを繰り返せ。善いことを心がけよ。善いことがつみ重なるのは楽しみである(ダンマパダ)
117 人がもしも悪いことをしたならば、それを繰り返すな。悪事を心がけるな。悪がつみ重なるのは苦しみである(ダンマパダ)
116 善をなすのを急げ。悪から心を退けよ。善をなすのにのろのろしたら、心は悪事を楽しむ(ダンマパダ)
112 怠りなまけて気力もなく百年生きるよりは、堅固につとめ励んで一日生きるほうがすぐれている(ダンマパダ)
104 自己にうち克つことは、他の人々に勝つことよりもすぐれている。常に行いを慎み、自己を整えている人、このような人の克ち得た勝利を敗北に転ずることは、神も悪魔も梵天もなすことができない(ダンマパダ)
103 戦場において百万人に勝つよりも、唯だ一つの自己に克つ者こそ、実に最上の勝利者である(ダンマパダ)
100 無益な語句を千たび語るよりも、聞いて心の静まる有益な語句を一つ聞くほうがすぐれている(ダンマパダ)
99 人のいない林は楽しい。世人の楽しまないところにおいて、愛著なき人々は楽しむであろう。彼らは快楽を求めないからである(ダンマパダ)
96 正しい知識によって解脱して、やすらいに帰した人、そのような人の心は静かである。ことばも静かである。行いも静かである(ダンマパダ)
95 大地のように逆らうことなく、門のしまりのように慎み深く、深い湖は汚れた泥がないように、そのような境地にある人には、もはや生死の世は絶たれている(ダンマパダ)
93 その人の汚れは消え失せ、食物をむさぼらず、その人の解脱の境地は空にして無相であるならば、彼の足跡は知り難い。空飛ぶ鳥の跡の知りがたいように(ダンマパダ)
92 財を蓄えることなく、食物についてその本性を知り、その人々の解脱の境地は空にして無相であるならば、彼らの行く路は知り難い。空飛ぶ鳥の跡の知りがたいように(ダンマパダ)
91 心をとどめている人々は努めはげむ。彼らは住居を楽しまない。白鳥が池を立ち去るように、彼らはあの家、この家を捨てる(ダンマパダ)
88 賢者は欲楽を捨てて無一物となり、心の汚れを去って、おのれを浄めよ(ダンマパダ)
87 孤独のうちに喜びを求めよ(ダンマパダ)
83 高尚な人々はどこにいても執着することがない。快楽を欲してしゃべることがない。楽しいことに遭っても、苦しいことに遭っても、賢者は動ずる色がない(ダンマパダ)
82 深い湖が、澄んで清らかであるように、賢者は真理を聞いて、こころ清らかである(ダンマパダ)
81 一つの岩の塊が風に揺がないように、賢者は非難と賞讃とに動じない(ダンマパダ)
76 おのが罪過を指摘し、過ちを告げてくれる聡明な人に会ったならば、その賢い人につき従え。隠してある財宝のありかを告げてくれる人につき従うように(ダンマパダ)
75 一つは利得に達する道であり、他の一つは安らぎに至る道である。ブッダの弟子である修行僧はこのことわりを知って、栄誉を喜ぶな。孤独の境地にはげめ(ダンマパダ)
71 悪事をしてもそのカルマは搾りたての牛乳のようにすぐに固まることはない。そのカルマは灰に覆われた火のように徐々に燃えて悩ましながら愚者につきまとう(ダンマパダ)
68 愚かな者は悪いことを行ってもその報いの現れない間は、それを蜜のように思いなす。しかしその罪の報いの現れたときには、苦悩を受ける(ダンマパダ)
67 もしもある行為をしたのちに、それを後悔して、顔に涙を流して泣きながら、その報いを受けるならば、その行為をしたことは善くない(ダンマパダ)
63 もしも愚者がみずから愚であると考えれば、すなわち賢者である。愚者でありながら、しかもみずから賢者だと思う者こそ愚者だと言われる(ダンマパダ)
62 「私には子がある。私には財がある」と思って愚かな者は悩む。しかしすでに自己が自分のものではない。ましてどうして子が自分のものであろうか。どうして財が自分のものであろうか(ダンマパダ)
60 眠れない人には夜は長く、疲れた人には一里の道は遠い。正しい真理を知らない愚か者には生死の道のりは長い(ダンマパダ)
53 うず高い花を集めて多くの花飾りをつくるように、人として生まれ、また死ぬべきであるならば、多くの善いことをなせ(ダンマパダ)
52 うるわしく艶やかに咲く花で、しかも香りのあるものがあるように、善く説かれたことばも、それを実行する人には実りがある(ダンマパダ)
51 うるわしく艶やかに咲く花でも香りの無いものがあるように、善く説かれたことばでも、それを実行しない人には実りがない(ダンマパダ)
50 他人の過失を見るなかれ。他人のしたこと・しなかったことを見るな。ただ、自分のしたこと・しなかったことだけを見よ(ダンマパダ)
47,48 花を摘むのに夢中になっている人を死がさらって行くように、眠っている村を洪水が押し流していくように、花を摘むのに夢中になっている人が未だ望みを果たさないうちに、死神がかれを征服する(ダンマパダ)
40 この身体は水瓶のように脆いものだと知って、この心を城郭のように安立して、智慧の武器をもって悪魔と戦え。克ち得たものを守れ。しかもそれに執着することなく(ダンマパダ)
39 心が煩悩で汚されることなく、想いが乱れることなく、善悪のはからいを捨てて、目覚めている人には何も恐れることがない(ダンマパダ)
35 心は、捉えがたく、軽々とざわめき、欲するがままにおもむく。その心をおさめることは善いことである。心をおさめたならば安楽をもたらす(ダンマパダ)
34 水の中の住居から引き出されて陸の上に投げ捨てられた魚のように、この心は、悪魔の支配から逃れようとしてもがきまわる(ダンマパダ)
26 智慧乏しき愚かな人々は放逸にふける。しかし心ある人は、最上の財宝を守るように、努めはげむものを守る(ダンマパダ)
25 思慮ある人は、奮い立ち、努めはげみ、自制・克己によって、激流もおし流すことのできない島をつくれ(ダンマパダ)
21 つとめ励むのは不死の境地である。怠りなまけるのは死の境涯である。つとめ励む人々は死ぬことがない。怠りなまける人々は死者のごとくである(ダンマパダ)
20 たとえためになることを少ししか語らないにしても、理法にしたがって実践し、情欲と怒りと迷妄とを捨てて、正しく気をつけていて、心が解脱して、執着することのない人は、修行者の部類に入る(ダンマパダ)
19 たとえためになることを数多く語るにしても、それを実行しないならば、その人は怠っているのである。牛飼いが他人の牛を数えているように。彼は修行者の部類には入らない(ダンマパダ)
13 屋根を粗雑に葺いてある家には雨が洩れ入るように、心を修養してないならば、情欲が心に侵入する(ダンマパダ)
5 実にこの世においては、怨みを以てしたならば、ついに怨みのやむことがない。怨みを捨ててこそやむ。これは永遠の真理である(ダンマパダ)
3 「彼はわれを罵った。彼はわれを害した。彼はわれに打ち勝った。彼はわれから強奪した」という思いを抱く人には、怨みはついにやむことがない(ダンマパダ)
2 ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によって作り出される。もしも清らかな心で話したり行ったりするならば、福楽はその人につき従う。影がその身体から離れないように(ダンマパダ)
1 ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によって作り出される。もしも汚れた心で話したり行ったりするならば、苦しみはその人につき従う。車をひく牛の足跡に車輪がついて行くように(ダンマパダ)