薬屋のひとりごと
中華風ファンタジーの三本柱
十二国記(小野不由美,1992)
ふしぎ遊戯(1992)
彩雲国物語(2003)
上橋菜穂子,精霊の守り人も参考
雲のように風のように
中華風ファンタジーに通じる少女漫画の歴史もの
王家の紋章(1972)
ベルサイユのばら(1972)
日出処の天子(1980)
1968年に川端康成がノーベル文学賞をとってから20年間の黎明期に少女漫画は隆盛を極める
猫猫はちびまる子ちゃんと科捜研の女の榊マリコを掛け合わせたキャラクター
宮廷内でおこるミステリー
恋愛とか一切興味ないワーカホリックのマリコ
まるちゃんはクラスの1軍ではなくてちょっと外側から様子を見ている客観性
任氏
の元ネタは
蘭陵王とシャアアズナブル
出自を偽って仮面をかぶってる
オスからオスを抜いたただの美しい造形物
実はそうじゃない
これもまた良い
付いてないと思ったら付いてるのが良い
オスがオスを抑制しつつ仮面を被って,オスではないという仮面を付けている
オスを覆い隠す仮面
ので女子はめちゃくちゃ安心してハマれる
女子は獲物じゃない
オスはいらない,イケメンが欲しい
女子の根源的な渇望
隠されたオスを向けてくれるのは自分だけ
しかもそれは他の美女を差し置いて自分の身にアプローチしてくれるこの国一の美男子
玉葉妃
モデルは楊貴妃
彼女こそ本来の主役またはヒロインだったのだが
薬屋のどこが面白のか?
美しさとかで勝負せず能力・知識・行動力とかで活躍するキャラかと思いきや本当は美しかった
文系女子の夢が詰まっている
ちょっと離れたところから中央のワイワイを見てぶつぶつ言ってるアイロニーを込めたマンガ
自分のやりたい妄想が詰まってる
メタ少女漫画的主人公が猫猫
90年代までの少女漫画的展開を後宮や花街に生きる周囲の女たちが演じており,彼女らは美のレース(メス的なレース,もっとも権力のある者に選ばれるとか)に参加している
猫猫はそこには参加せず(だからブスメイク)傍観者,介入者として介在する半神
猫猫(みないな女子)の反語的欲望
ルックスではなく能力で評価(でも化粧すれば美人)
一軍とは距離を置く(でも一軍から頼りにされる)
恋愛に興味がない(でもこの国一の美男子から自分だけが求められる)
アイソレーションとってるけど自分が一番上ですよっていう直接は言わないけどそれを封じ込めた作品
美や権力のレースに参加してない(でもその中枢に近づいていく)
振り回されるのは男の方(でも徐々に猫猫も?)
後宮も花街も同じという諦観(でも珍しい薬草などには我を忘れるほど執着)
出自の複雑さや自我の問題に悩まない(でもちゃんと納める)
好奇心だけで生きてる,あとはもう適当に無理せずみんな穏やかに暮らせればいいかな
親父と母親の問題はなんやかんやで納めてしまう,世話焼きというか
始めはぺらいけどむちゃくちゃ重厚な人間ドラマになっていく
猫猫のただれた腕は
腕に刻まれた聖痕(スティグマ)
自身の研鑽の聖痕でありメンヘラ的自傷癖の反転
この傷は自分を見つめ続けた結果なんだよ
なにも恥ずかしいことじゃないんだよ
それで引いてしまうやつらなんてどうでもいい
だって自分はこれで生きてきたんだからっていう超自己肯定
他者の評価で決まる美のレースとかそういうのではなく自分の価値は自分で決めるよっていう宣言を一発で表してる
いじめられそうになってもはいって
私こういう者ですけどって印籠として見せる
こういうのを身体的に刻んでる
消極的ヒロイズム
世界(自分,あの人)を変えたいと思っていない
でも世界(あの人)は自分のせいで変わっていく
これはめちゃめちゃ女子の欲望
自分だけが世界(あの人)を救える
だから自分がやるしかない
世界と自分のディスタンスをとってる
女性的なヒロイズム
いわゆる普通の少女漫画あった,少女が少女の仮面を被っていたが90年代から21世紀になって女性的な感覚がどんどんフラットになってそれを脱いでったら猫猫みたいな反語的欲望になった
恋愛そんな興味ないよ,それより面白いのいっぱいあるよねって気づいちゃった
恋愛至上主義じゃなく自分がやりたいことが好きなものがきっちりあった上でその人生を豊かにする一つのオプションとしての恋愛になっていった
21世紀でないとメタ少女漫画的主人公は主人公として成立しなかったと思われ
80年代に出てきても受けなかっただろう
作者が自分の好きなものを繋げていったらこうなったのであろう
https://www.youtube.com/watch?v=G7tRjMOTGx0
ジオンのモデルは旧ドイツ帝国