千葉雅也によるサイゼリヤの符号化批判
既に名があるものに新たに名を付けるというのは一種の暴力性がある(前提)
名があるものを数字列で管理する
裏でやってよという話でしかない
簡便のための数値化が表に出てきたらそれはちょっと…という気持ちの表明ではある
物に 数字列しかない と 数字列もある は全然別のレベルでは
これはそもそも論理式に固有の名があるわけではないものを数字列にエンコードする訳だからアナロジーとしても不適切な気がする
$ ((A \to B) \land A) \to Bに何らかの固有名があるわけではない
略記したことをそのまま大っぴらに言っても良いのか?という問いかけ
文化として,良いのか?という話でしょう,これは
そもそも別に授業には名があるだろう
別に68175の授業は…とか考えていないが