2025.10.07
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多すぎる
前:2025.10.06
後:2025.10.08
#日報
メモ
Robert I Soare, "Turing Computability: Theory and Applications"を読んだ 
思った
今日初めて論理の授業を受けた気がする.
少なくとも数理論理学において,数学の証明とは文を適切な前後関係(各文は推論規則によって結合されている)で並べたものだという見方で分析することにしているが,このような分析は通常の数学の証明にあるはずの配置による意図(「流れ」?)や物語性などを損なうだろう:論理学はそういったものをないがしろにしてきた,みたいな話が挙がった.
自分はあまり納得できない,あるいはそうだとして,そうでいいんじゃないでしょうか.という意見を持った.
物語性というのはあくまでも付随価値あるいは配置によって魔術的に生成される個々人の感動に過ぎず捨象したとしても何も問題ないと思う.
あるいは(数理)論理学をやっていくというのはこのようなロマンティックなものを捨象して分析することの表明と一体である,という気すらある.
もちろんそのようなものが存在するか:あったとしてその本性は何なのかという分析もしても良いと思うが,それはノンオブマイビジネスという感じだ.
もう少し深く考えることにしよう.
メモ
MyGoを観直すことにした
ギスギスしないでくれ!