2024.08.14
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メモ
PRが片付いた
思った
$ \bf GLの完全性定理で否定$ \lnot Aではなく補$ -Aを考える意義がイマイチよくわかっていなかった
$ A \equiv \lnot Bなら$ -A \equiv B,そうでないなら$ -A \equiv \lnot A
が色々検証した結果やっぱり必要だろうなと思った.
となるとBoolosの証明はやっぱり間違っているのか?
思った
不完全性定理の雑な説明を考えていた
私は不完全性定理を最初に学ぶときにこのような説明無しで頑張って理解しようとしていたが,まあ説明があったら良かっただろうなと思ったから.もちろんほとんど正確性などは端折っている.
本文
我々の数学的道具立ては何らか固定しているものとする.
例えば足し算しか出来ないとしたら,掛け算などのより高度なことは出来ない,と考えることにする.
カリキュラムにないことは出来ない!という話である.
今,目の前に解けない数学的な問題があるとする.我々がこの問題が解けない理由は次の2パターンあると言ってよいだろう.
1. 純粋に難しい問題なのか?(解けないのは単に我々が無能なのか?)
2. それとも我々の現状の道具で解くことは原理上不可能だからなのか?
言い換えれば,何かしら(今固定された道具立てとは異なるという意味で)超越的な方法を仮定しなければ解けない問題なのか?
もしパターン1なら,頑張れという話であって,問題はない.
問題なのはパターン2である.常識的な範囲(あらゆる問題を正当化するような奇妙な道具ではないという意味)で適当な道具を持ってこれば解けるかもしれないが,その適当な道具とは何なのかという問題が発生する.
今解けない問題に対してどんな道具かはわからないが,これより超越的な適当な道具を持ってくる(より強い道具立てへジャンプする)必要性が本当に生じるのか?という疑問があった.
その結論としては,ジャンプする必要性は生じうる.ということである.
第1不完全性定理:この定理が要請するある道具立てより今考えている道具立てが強い場合,原理上その道具だけでは証明することも反証することも出来ない問題を必ず一つは人工的に構成することが出来る.
第2不完全性定理:そのような人工的な問題と同値な問題として非常に興味深い具体例として「その道具立てが矛盾していないか」ということを表す問題が取れる.
今解けない問題は,この人工的な問題と同値かもしれないという可能性がある.
すなわち,今目の前にある問題は,原理上今の我々の現状の道具で解くことは原理上不可能かもしれない.
そしてこの定理が要請する道具立てとは驚くことに初等的な算術体系である.
ほぼあらゆる数学理論はこれを含む(もちろんプリンキピア・マテマティカおよびZFC集合論も). したがって,ジャンプする必要性は生じうる.
これにより,数学の仕事は当面無くならず,道具を探すという方向性の旅も広がったというのが20世紀のはじめの雑な歴史である.