2024.06.29
観た
ありがとう!
しかし今後リコリス・リコイルみたいな感じで14話 15話のユーモアをやる人間が出てきたら不愉快だなと思った 思った
お好み焼きは不愉快だ
読んだ
思った
岩倉文也のガルバン評でエロゲーやビジュアルノベルは「 ありえたかもしれないもう一つの世界」みたいなものを同じゲームの中でルートの選択という形で表現できる( やや必然的にそうせざるをえない)という強みがあるみたいなことを言っていた 確かにと感銘を受けた。
というか他にこのような構造を( 必然的に)持ちうる創作体系を少なくともゲーム以外であるのだろうか?
パッとは思いつかない
思った
前提:人間ならば死ぬ。
事実:ソクラテスは人間だ。
導かれる帰結:ソクラテスは死ぬ。
さてここで前提の「 ならば」という論理結合について
よく批判されるように記号論理( 少なくとも古典論理)における「 ならば」は前件( 人間は)と後件(死ぬ )に必ずしも関連性が無くとも良いという批判がある
例えば「 1+1=3ならば雪は白い」はナンセンスだが構成できる
という観点から関連性論理がある( すくなくとも前件と後件は関連がある:命題変項を共有する) このような関連性の要請は「かつ」と「または」には見られない
しかしこれは別にベーシックな様相論理の言葉で書き下すことも出来るのではないか
「 人間ならば死にうる」のでありそして「死にうるものは必然的に死ぬ」これらから「人間ならば必然的に死ぬ」が導かれる
しかし今書きながら思ったのだが「 Aである」から「必然的にAである」はそれほど自明ではない
「微細構造定数の逆数がほぼ整数に近い」という現在の観測から「 必然的に微細構造定数の逆数は近い( 近くなければならない)」とどうして言えるのだろうか?