「作品を通じて伝えたいこと」とは
そういうものはないのではないか
作品を通じてしてほしい体験というのはある気がする
なってほしい感覚というか
そこに言葉が添えられるとすれば、その体験の補助線として使われる解説であって、本体ではない
体験の解説は言葉でなされるので、言葉で語られる概念が本体だと思い込んでしまう人間の習性
価値の交換がお金でなされるので、お金が価値の本体だと思い込んでしまうようなもの
伝えたいことがあって、それを伝える道具として作品を使っているのであれば、作品に対してあまり誠実な態度とは言えないのではないかという気がする
なんとなく、この辺よくわからんけど
みんなそうなんじゃないのか
言葉で聞くのと体験するのはぜんぜん違うから絵や小説を書いたり作品を作るのではないのか
コピーライターとか広告の仕事は伝えたいことありき、伝わるかどうかが命なので、そういう面はある
その考え方を作品に適用するのは、目的主義のフレームワークで物事を捉えすぎではないか 国語の問題とかでも、作者が伝えたいことを答えよみたいなのがある
伝えたいことがあってほしいという願い
理解できないことがなくてほしいという願いとも言える
その点では宗教などにも近い
自分の人生に解釈を求める人々の集い
人間は理解できないことがなにより怖い
おばけでもなんでもいいから、適当な解釈を与えると安心できる
この目的があったんだと知って安心したい
作品というものは根本的によくわからなくて恐ろしいものなのでは
作品に伝えたいことを与えるのは、猛獣に餌をやって飼いならして家畜にするみたいなことでは