125-20181113 何をとどめて、何を捨てるか
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私もアラフィフになったので、こういう本を読みたくなりました。
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50歳になるといろいろなものが否応なく失われていきます。その現実に向き合って生きていくための指針のようなものを示した本だと受け取りました。
50ぐらいになって失われるもので、真っ先にあげられるのが、体力をはじめとした「若々しさ」でしょうか。そして同年代の身近な人の死にも向き合うことになる。逆に積み上げられてくるのが社会的な地位と言ったもの。誰それはどこまで出世した(あるいは活躍した)、あるいは年下の上司を持つことになった、といった話。
これらは家族があろうがなかろうが関係なくやってくる。そして、自分に持ってないもの、失われたものを実感して「孤独」を感じることになる。そこで、どうするか?
私がこの本を読んで思ったのは、「何をとどめて、何を捨てるか」ということ。失われるのものを無理にとどめると、人生自体に無理が生じてしまう。かといってなすがままに失って孤独に沈むだけというのもよろしくない。だから、「これさえあれば幸せ」というものはとどめておいて孤独に向き合う、あるいは孤独に慣れることが50ぐらいになると大切なことになるのでしょう。
とどめることとは、一つには具体的な趣味やそれを通した仲間(人間関係)、もう一方では自己肯定感そのものを保つことも重要かもしれません。実はこの自己肯定感を持ちつづけることはそう簡単ではない、と思うのですが、もともと自己肯定感が高いと認識されている筆者にとって、そのあたりは苦労しないようです。
一方、筆者が捨て去るべきものとして強調されているのが「嫉妬」です。先述したように、50ぐらいになるといろいろと自分に対する評価が積み上げられてくる。さらには他人に対する評価も気になる。そこを気にせずに自分が一歩引くことで若者との積極的なつながりを持てるようになる。そうすればまた新たな展開が期待できるのかもしれません。
私たちは、家族の問題であれ、友人の問題であれ、自分ではない他人の問題までもかぶってしまうことがあります。このとき「それはその人の問題であって、あなた自身の問題ではないと考えなさい」というのがアドラーの考え方です。(略)これを少し変換すると「他人の成功・失敗はその人の問題であって、私の成功・失敗と関係がない」ということもいえます。
この「変換」は、今まで思いもしなかった考え方でした。前々から他人への嫉妬は持たないようにしていた。ただ家族の問題を抱えるのは当たり前だと思っていた。これはある意味矛盾している、ということでしょうか。
自分の問題は自分でしか解決できない、という考え方は「孤独」にも通じるのかもしれません。全部を見捨てる/見捨てられるのではないが、必ず「孤独」の部分がある、と考えると特にアラフィフになって「孤独」に慣れることは重要な視点のように思いました。