114-20180612 「休む」ための選択肢
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私の子どもの一人が「転換点」を迎えました。
もともと体力や気力が、人よりも弱い子ではありました。ただ、医者に診せても何か特殊な診断が出ることもなく、薬は与えられませんでした。ところが、先日思うところあってある医者に診てもらったところ、はじめて診断名と薬を与えられました。
ある意味安心した一方で、大きな問題が発生しました。治療方針の見直しを迫られたのです。これまでは「無理せず休みつつ、できそうなときには頑張ろう」という方針だったのが、「できる限りがっつり休んで、しっかり直す」というものに変わったのです。病気の性質上、その方がいいというのが、かの医者の診断でした。
これは本人含め関係者全員びっくりしました。本人は根が真面目なので「がっつり休む」ということに抵抗感があると言ってました(たいていの今の子供はそうですよ、と医者がコメントしていました)。私もこれまでの対処療法的で終わりの見えないやり方になんとなく疑問を持っていて、何らかの発想の転換が必要とは思っていましたが、この展開は予想外でした。
その抵抗感を軽減するためにも、どうやって「休む」かが重要になってきました。ここで言う「休む」は常にベットで安静にしておくことではありません。体に悪影響が及ばないレベルで動いてよい、と言われています。では、何をすればいいのか?
考え方として、パッシブな方向と、アクティブな方向があります。例えば、前者はテレビを見ること、後者は何かを読んだり書いたり作ったりすること。家の模様替えや、時には別の場所に行ったりして「環境を変える」というのもあるでしょう。
テレビを見ることか全くダメというわけではありません。本当に疲れていて動きたくない時にはそうしたくもなるでしょう。ただ、やはりこれが長時間になると、いろいろ問題がおこりそうです。テレビはそれ自体が長時間の試聴を促しがちなので「ハマりやすい」というのもあります。
一方、後者は、自らの意思で行動を選択し、さらに行動を開始した後もなんらかの判断を継続的に求められるので、いい意味でほかのことを忘れられる、という点がありそうです。
ただ、前者にしろ、後者にしろ、いずれ「飽きる」時が来る。そうすると、現実に引き戻されてしまいます。いつかそうなるのは不可避としても、そのような「休むための選択肢」を多めに持っておくことが、治療の質に直結するような気がします。
そして、そのためにも、「休む」ために何をやったかを毎日記録に残しておくことが大切かもしれません。あることをやってみてうまくいかなきゃ別のものを試せばいい。ログって大事ですね。
と、いろいろなことを考えてみると、これは子どもを休み方だけでなく、親の休み方にもつながるところがあるかもしれない、と思い至りました。自分には、どれだけの「選択肢」があるでしょうか。
photo by Q-lieb-in from Wikimedia Commons