069-20160920 「拠って立つ処」のためのメインテナンス(1)
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もともとこのブログを始めた理由のひとつが妻の適応障害なので、こういう本にはしっかりと向き合わなければなりません。ずっと宿題で私のKindleに残っていました。
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この本は、長年適応障害に向き合ってきた医師による、適応障害の入門書です。適応障害の基礎知識、学校や職場などの場面における応用編、最後に適応障害からの脱却、といった構成であり、適応障害になった本人はもちろん、適応障害に向き合う人向けに書かれています。
さて、「適応障害」の特徴を手短に言うと
一言で言えば、居場所がなくて、あるいはプライドを傷つけられ、心が折れかかった状態だと言えるが、適応障害の段階ではまだ復元力があり、不適応を起こしている環境から離れたり、ストレスが減ると、速やかに回復するのが大きな特徴である。
同じ環境(の変化)であっても、適応障害を起こすか否かは、個人差が大きいということである。その人にとっては非常に苦痛な環境も、別に人にとっては快適であるということもしばしばだ。
こうなります。文字通り、自分自身と環境がマッチしないために、いろいろなことが起こる。年齢性別問わずに起こる。サボりたい人がわざと起こすのではない。体が反応してしまう。逆に責任感の強い人にも「ストレスのオーバーフロー」という形で起こる。今まで全く無縁だった人が、ささいなきっかけで起こってしまう。要は、だれでも起こりうるわけです。私もいつ食らうかわからない。
ただし、適応障害は、原因不明の「難病」ではありません。起こるとき、そして治るときに、必ず予兆があります。なぜなら適応障害は自分と環境との相互作用なので、避けがたい突発的なアクシデントを除けば、いきなりは重症化しないためです。
したがって、まずやるべきは、日頃のたゆまぬ「メインテナンス」であると筆者は指摘します。対症療法に至る前の予防です。投薬以上に重要です。そしてこのメンテナンスは二つの意味があるような気がします。
ひとつは、環境や自分や家族の影響度合いを絶えず確認し、適応障害を起こしかねない環境変化を防ぐこと。これは本人はもちろんのこと、向き合う家族にとっても必要だと思います。日々気をつけなくてはならない、というのはかなりしんどいです。でも、重症化してからのフォローは本当に大変で、その苦労に比べればマシかもしれません。
もうひとつは、自分をしっかりと持つ「安全地帯」を築くこと。「安全地帯」は1日にしてならず。家庭は言うまでもなく、家庭以外の安心できるコミュニティに自分を居場所を見つけるのは、どうやっても1日ではムリです。毎日何時間もかけるようなものではないにしろ、やはり日頃のメンテナンスが必要になる。
結局、大切なのは「拠って立つ処」だと思います。前者はこれを失うことで発生するストレスを抑えるということ。後者はこれから築く、あるいはすでにあるものを守る話であり、そして、拠って立つ処が、自分の存在価値にもつながる。
しかし、うまくいくとは限らない。その「拠って立つ処」が問答無用で失われるケースがままある。典型的なのが、子育て。子どもたちの世話に追い立てられて、気づいてみれば失っている。意識的に「これは止めよう、止めざるをえない」と言う話ではなく、いつの間にかやらなくなってしまった。これは、実際に子育てしないと実感できない感覚だと思います。さて、どうしたものか?
この項続きます。