068-20160906 変えるのが当たり前、変わるのが当たり前
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最近このツイートを見て、ドキリとしました。
宇多田ヒカル
@utadahikaru
経済力のある男性が優しくてかわいくて自分を一番に思ってくれる女性(経済力低め)を選んだってなんの不思議にも思われないのに、性別が逆になると問題があるかのように思うのは非常に非理論的だ。男の子って大変ね。
午後8:52 · 2016年8月29日·Twitter for iPhone
まさに同じようなことが、この本に書いてあったのです。
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この本は、イクメンブーム、ライフワークバランスブームに一石を投じる本です。仕事も頑張って家事も育児も頑張って、なんてありえないだろ?と問いかけます。いろいろ理由はあるのでしょうが、ここではふたつほど取り上げたいと思います。
一つ目は、子育て生活が始まったのに、自分の仕事の質や量がそのまま、ということは有り得ないから。それだけ子育てはデカいプロジェクトである、ということです。昔はともかく、今は間違いなくそうだ、ということ。にもかかわらず、多くの人にその自覚がないこと。
この自覚がない、ということには二つの背景があると思っています。ひとつは単純に子育てが大変だという事実を知らないこと。もうひとつは、それによって何かを手放さなければならないことを認められないこと。
できるだけ早く育児を軌道に乗せるためには、仕事にかける時間やエネルギーをいったん育児にシフトさせる必要がある。その間、仕事のパフォーマンスは下がるかもしれないが、焦ってはいけない。
では、どうすればいいか?その事実を厳粛に受け止めて、軌道修正をするしかない。軌道修正を恐れてはいけないのです。というよりも、変えるのが当たり前、変えない方がヘン、と思った方が気が楽なのかもしれません。当然収入も変わります。男性も女性もそれを受け入れなければならない。簡単にそうならないから、ヒカルさんの嘆きにつながるのですが。
もうひとつは、子育て生活が常に安定している、ということは有り得ないから。だって、子供が相手なんです。常に成長し変化する子供が相手なんです。子供もそれに関わる大人も、常に一定の状態を期待する方が、ある意味おかしい。そりゃメンタルにもなろうというものです。
では、どうすればいいか?目指すのは「動的な安定」だ、と筆者は指摘します。本文で筆者はお手玉とシーソーの例えを出してきます。つまり、ある瞬間だけを見ると、何か一つ(あるいは複数)のことが手に着いていない、あるいは釣り合いがとれていなくても、ある一定時間の幅で見ると遊び(生活)として成立している。これをめざすべきではないか。
これは、思ってもいなかった気づきでした。つまり、まず、状況が常に変わるのが当たり前、変わらない方がヘン、と捉える。その上で、落ち着きどころを考える。だから、夫婦喧嘩を避けてはならない、と筆者は指摘します。
子育てしていれば、家族のあり方は常に変化している。その中で、いくつもの小さなバグが生じるのは当然のことなのだ。そのバグを、その都度適切に修正していくことで、夫婦関係はアップグレードし続けることができる。
多くの人はあるスナップショットだけを持ち出してエンドレスな論争にはまってしまう。私も、常にちゃんとしなければ、と思って勝手にブラック化してしまう。これでは誰も報われない。
一方、考えてみれば遊びもスポーツも、常に状態が変化することを前提として楽しんでいるんです。スナップショットを撮るなとは言いません。また無理にいろいろ変えろとも言いませんが、本来の楽しみは、変化に対応する動きの中にこそあるのかもしれません。子育ても、生活も。