056-20160401 「余裕」は、多様性へのチケットである
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この記事は、下記企画のコラボ記事です。
★細かい障害区分は一般の方にわかりにくいので自閉症だけでなくADHD、LDなどを含む発達障害全般を対象にしたいと思います。自閉症啓発デーですが発達障害啓発週間でもあります。
ということなので、一言。
私の妻は何らかの障害を抱えています。診断する医者により不安神経症とかADHDとか適応障害とか言われていますが、とにかく何らかの「生きづらさ」を抱えています。私と二人の子供は、今のところ特に変わった点はありません(と、私は思っています)。
妻は、ある種の「困難」に直面すると、体が動かなくなります。単に寝込んだり、具体的な病気になったりとパターンはいろいろですが、とにかく動けなくなります。で、この「困難」のレベルは、通常の人に比べて低いです。家事育児が常に全くできないというわけではないので、軽度なんだろうと思いますが、私が残業をほとんど取らず、頻繁に(直近1年では20日以上)休みを取ってかなり時間を取らないと家が回らないレベルではあります。
そんな妻と数年接して、気づいた点が2つあります。
ひとつは、本人のみならず接する人々にとっても、最も必要なものは「余裕」である、ということです。特に時間的、空間的、そして精神的な余裕。
私は幸いにもこれに恵まれました。この数年で仕えた数人の会社の上司全てが、私の家庭の事情を理解して、余裕を生み出すような配慮をしてくれました。同僚も「妻が病気がちである」というある意味いい加減な説明だけで配慮してくれています。本当にありがたい、と感謝しています。
もうひとつは、妻のような身近でそのような障害を持つ人に接することで、人の多様性、という大切な視点を体感できている、ということです。
これは、聞いたり読んだりするだけでは得難い感覚かもしれません。ただ、無理してそういう人の側にいなくても、親族なり友人知人なりでそういう人はままいるものです。例えば私は、妻の他に親族内に自閉症のお子さんがひとりいます。自閉症やなんらかの障害を持つ人、というのは何も別世界の話ではなく、意外に身近にあるのではないかと思います。
何かのきっかけでそういう人の存在に気づいたとき、そしてなんらかの配慮の必要性に気づいたとき、多様性へのチケットを獲得する。その気づきのためにも必要なのは「余裕」です。
今は世の中の変化が激しすぎて、なかなか「余裕」を持つことが難しいかもしれません。ただ、そこを乗り越えたとき、多様性という、変化に適応できる大切なものを得られるような気がしています。
妻よ、ありがとう。
こちらも、ご参考までに。