047-20151201 自分が我に帰るための、二つの「クモ」の目線(1)
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私のTwitterのタイムラインに、自分は何のために生きているか、とか、自分は誰の役にたつか、といった話が時々流れてきます。
私は正直申し上げて、自分が何のために生きているか?を真剣に考えたことがありません。ただ、なんとなく地に足がついていないような、中途半端な感覚を覚えることが時々あります。私、なんでここにいるんだっけ?みたいな。
そんな時に、我に帰るための糸口として、二つの視点で見たらいいのではないか?と思っています。少々こじつけですが、「二つのクモの目線」と名付けました。
一つ目が「蜘蛛の目線」。今の自分の役割と、その影響度合いのようなものを確認することです。
例えば、私は「自分自身」「世帯主」「コミュニティーの一員」という3つの役割を設定しています。この3つの役割から、それぞれやりたいことや、やるべきこと拾い集めれば、我に帰る糸口がつかめるのではないか、と考えています。
「自分自身」というのは、個人として何をやりたいのか?ということ。他人のことはすべて置いて、これを買いたい、あれをやりたい、あそこに行きたい、といった話。ある意味「安全地帯」の設定かもしれません。これがあれば安心、という感覚。私にとっては、このブログもそのひとつです。
他の二つに比べて、今の私にとってここの範囲は極めて狭いです。狭いからこそ、押しつぶされてはいけないような気がしています。押しつぶされては、あとの二つの役割を全うできません。
「世帯主」は、つまりは家事と育児。妻のケアを含む。今の私にとってこの範囲は広大です。
例えば子供に関して言えば日々の宿題チェックから始まって、習い事の管理、広い意味でのモチベーションの維持なんかも大事。プレゼント(今の時期だとクリスマスプレゼント)を考えるとかも入りますね。
以前申し上げたことのある家族のスケジュール管理や、家の中にあるもろもろの財産管理。悩みは尽きません。
「コミュニティーの一員」は、自分の所属するすべての集団に関すること(家族は除く)。勤め先、近所付き合い、学校や幼稚園の親つながり、趣味の仲間たち、そして、親族。そのつながりのなかで、やりたいことや、やるべきことをピックアップしていきます。
勤め先をここに含めるのはちょっと強引かもしれません(かなりの時間を割いていますから)が、この順番に考えること自体に意味があるような気がしています。うまく説明はできないのですが。
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やりたいことや、やるべきこと拾い集めるというボトムアップ的な考えは、この本で有名になった「GTD」的な考えです。当初私はこれを「亀の目線」と名付けてました。
でも、思えば、コミュニティーの一員であること自体が他人になんらかの影響をあたえている。蜘蛛の巣の糸に少しでも何かが引っかかったら蜘蛛が反応するように。そうか、私は蜘蛛だったんだ。その「反応する」という感覚を忘れないことが、生きている証拠なのかもしれません。
この項、続きます。