015-20150615 シンプルさとADHD1:実は近い関係なのでは?
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昨日の本の話に関係して、ちょっと続けます。
ADHDの人は「片付けられない人」というぐらいですから、シンプルさとは全く縁がないように思えますが、実はそんなことはないのでは?と考えています。
『減らす技術 The Power of LESS』は、シンプルの要諦は「制限」し「本質に迫ることだけを選ぶ」ことだ、と指摘しました。ADHDの人は、適切なタイミングと程度で「選ぶ」ことはできない。ただ、実際には感覚的にできているのではないか、という気がするのです。
例えば、妻が何かを片付けたい、と考え始めるとします。すると簡単に「テンパる」か、あるいは考えること自体に集中してしまいます。集中して何をするかというと、例えば整理用品について猛烈な勢いでネットで調べ始めるのです。肝心な「モノ」は一切動きません。
しかし、本当に何にもできないか?というと、そんなことはありません。やるときはやります。ただ適切なタイミングでコントロールできないだけです。たとえば妻は片づけが苦手ですが、年3回ぐらい、猛烈な勢いで部屋を片づける能力を発揮します。これには半日を要し、当然私がその間子供の面倒一切を引き受けるのですが、とにかくやり遂げます。このときの意思の力はすごいです。
「コト」の場合は、もっとわかりやすいです。妻はネット依存度が高い(長くネットをやっても体調に影響しない)のですが、一方で関わり合い(コミットメント)が増えると直ちに体調に影響します。つまり、感覚的に「制限」しているのです。
たとえば、うちの子供の習い事は今週1回しかありません。周囲の中では少ない方ですが、これは単純に週2回以上では妻が対応できないからです。すると一番重要な習い事は何か?をいやでも考えるようになります。たまに新たな習い事を考えることもありますが、その際は今の習い事をやめてでもそちらをやりたいか?という選択を迫られ、それはダメだろう、という結論になります。
「モノ」にしろ「コト」にしろ集中する対象とタイミングを適切にコントロールすれば、ADHDでも明るく過ごせるような気がします。そうでない人より、ある意味「シンプル」に近い位置にいるのです。