010-20150610 「地雷」回避への努力3:そして共有する
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昨日申しあげたとおり、地雷には2種類あります。ここが地雷源だとわかっている場合と、そうでない場合。
妻の場合は、地雷源だと事前に認識していれば、それなりに用心をします。それ以上に重要なことは、地雷源があるという情報を私が共有することです。私が認識しなければ、自分も認識できないも同然、と妻は言います。
そこで、ある日、妻がこういうことを言い出しました。
「毎朝、今日は○○があって大変だね、と私に言ってほしい」
これには、2つのポイントがあります。一つ目はこれを私が妻に言うこと。これにより情報が共有されていることがお互いに認識されます。
もう一つのポイントは、「大変だね」です。これが「よろしくね」とか「~してくれてありがとうね」ではダメ。「大変だね」は、そこに地雷があることを認識するキーワードであり、その他の言葉では認識できないのです。
だだし、この「大変だね」と言うことには、私は当初すごく心理的に抵抗がありました。あなたのせいで、私はこんなに「大変」な思いをしていると言わせたいのだ、と誤解したのです。悔しいというか、なんか納得できないというか。もちろん妻は、私のせいだとは思っていません。
例えば今の妻にとって一番大変なこと、つまり最大の地雷は、なんらかの理由により自分ひとりでふたりの子どもを外に連れて行くことです。準備も大変だし、外出先でどんな予想外のことが起こるかわからない。ADHDでなくてもこれが「大変」なことであることは理解できます。
ただし、こういう出来事が発生するのはたいていは学校・幼稚園や習い事や通院のためであり、私の言動が原因ではありません。大変だとわかっているなら代われよ、と言われている気分になるのですが(それがいやだった)、妻はそんなつもりはありません。やむを得ないのですが、それを分かってほしいのでしょう(実際代わって対処したこともありますが)。
私がこう考えてしまうのは、男性特有の思考傾向なのか、あるいは単に私の被害妄想なのかもしれません。ただ、ここは「割り切って」やるしかない、と判断しました。
これからもいくつもの「割り切り」をしなければならないでしょう。それによるストレスも発生するでしょう。でも、それは弱気の消極策ではなく、別のストレスを大きく軽減するための積極策なのだ、と考えることにしています。