日記、そして『出会って4光年で合体』を読んだ感想※ネタバレ含む 2023/06/24(土)〜2023/06/25(日)
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Goさんが上記のように言っていたので、日記を書きつつ感想も書こうと思う。
1回通読した程度で、批評というレベルのものは書けないし、『出会って4光年で合体』以外の話もたくさんする。
「太ったおばさん」という作者の名前は、以前より山像(@i_yamagata )さんがよく話題に出していたので名前だけは知っていた。そもそも今回の作品についても山像さんが何度も話題にしていたから認知したんですけどね。 山像さんはじめ、タイムラインで話題にしている人を少なからず見たので読もうと思った。
タイムラインで話題になる作品はだいたい面白いという特徴がある。
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6/23(金)23:59までで定例オンライン歌会の選評が〆切だったのだけど、選評を入れていない参加者がおり、0時を回ったあとに選評を催促するチャットを送った。
でもその当人は寝ているみたいで、反応がない。
結局翌日の正午過ぎに選評は投稿され、「すみません。遅れました」と返信はもらったのだけど、何度も常習的にすっぽかされていたのもあるし、12時間も遅れていることに、いい加減腹が立ってその人をダイレクトチャットで責めはじめた。
いままで何度かそれとなく〆切を守るように言っていたし、歌会の進行が予定通り行われないことについて、別の参加者から苦言をいただいていたこともその人には伝えていたので、それでもすっぽかされたことに怒りと悲しみをおぼえた。
本来金曜の夜にクローズできていることを、土曜になってまだ対応させられていることにも腹が立った。
そもそも翌日の昼ごろであれば、前日の〆切までに全員が投稿していたとしても、わたし個人の都合で、結果発表がその時間ぐらいまでずれ込むこともあるだろうから、それなのにこんなに怒って責め立てるのは、わたしのヒステリーや癇癪でしかなく、それを思うと余計に悲しく、すべてに絶望してしまう。
そして、参加いただいている人たちに、単純に予定が遅れて迷惑をかけることもなんだけど、「この会(あるいは運営者)はルーズなんだな」と思われるであろうことも悔しくてならなかった。
そうしているうちにもう会をやめたくなったし、もっと言うとそんな衝動的に人を責め立てるような自分に絶望して、もう死ぬべきだと思い始めた。
このあたりで、自分がいま正気ではなく、うつ状態か何かになりかかっているのだろうと気づきはじめるが、怒りや悲しみがおさまらない。
チャットで「もう会をやめたい」と、会を人質にとってその人を脅す。
青山正明が最期に食べたのが「赤いきつね」だったという話が閃きはじめる。
自分の機嫌は自分で取るべきと思いつつ、下北沢から祖師ヶ谷大蔵に移転したBOOKSHOP TRAVELLERのひと箱書店「うたとポルスカ」まで赴き、『芸人短歌』と相川弘道『SILENT NOISE』を買った。
『鯉派』もまだ買えてなかったので買おうと思ったけど、売り切れてたみたいで置いてなかった。
祖師ヶ谷大蔵ははじめて行ったけど、駅前にウルトラマンの像があったり、けっこう長い商店街があったり、木梨憲武の実家の自転車屋があったり、なんか薄暗い横丁があったり、いろいろ面白そうな街だった。
せっかくなので横丁の小料理屋みたいなのに入ってサッポロ赤星を飲んだ。自分の機嫌は自分で取るべきだ。
ところで、相川弘道『SILENT NOISE』を読む。相川弘道さんは、わたしのゲスト出演で先日配信されたYouTube「歌会たかまがはら」に投稿歌を送ってきてくださった方で、すごくいい歌だったので配信でも取り上げたのだけど、名前でググってみたら、『芸人短歌』に参加されている方だとわかった。 https://gyazo.com/4ee655daf81031eb413e9c6a980663b1
小料理屋では2杯飲んで、そのあとはスーパーで缶チューハイを買って飲んだ。駅前では盆踊り(なぜこの時期に?)が開かれていて、大太鼓の威勢のいい音が響いている。なんだか現実感が薄れている。
『お〜い!竜馬』に、若かりし頃の坂本竜馬、武市半平太、岡田以蔵の3人が女郎屋に行くエピソードがあり、そこで期待に股間ふくらませる武市半平太が、いよいよふんどしを脱ぎ去ろうという段階で、ふんどしにペニスがこすれた刺激で射精してしまい、それを遊女に笑われてプライドがズタズタになる、という「一体なにを見せられているのだ」と思わずにはいられないコマがあり、そのときのわたしの涙腺も、武市半平太のペニスのように、ちょっとした刺激さえあれば溢れ出てしまいそうになっていた。でもこういうときは、泣こうと思っても泣けない。
泣きたいけど泣けないのは昔からで、むかしやっぱり泣けなくて悔しかったこととかを思い出しながら、ホームドアのない駅ホームで電車を待って電車に乗った。
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家に帰って、よく覚えていないけどまた酒を飲んで、気づいたら電気をつけたまま眠っていて、夜中の2時台に目が覚めた。
寝直そうと思って電気を消して、もう一度ベッドに横になっても眠れない。
じゃあいっそ起きて何かしようかと思っても体が動かない。
この体の重さは、うつ状態のときのやつだな。ついにまた来てしまったなと思った。
そんなこんなで何もしないままベッドでずっと横になっていたのだけど、朝6時すぎに観念して起き上がってデスクに向かい、こういうときだからこそ読むのに時間がかかるかもしれない『出会って4光年で合体』をひらいた。
一旦全体像というか、本の厚みとかボリューム感を確認するために、ストーリーまではわからない程度に全体のページをパラパラとめくってみるのだけど、字が多い。
冒頭は、ジュニアアイドルの動画をうつしたスマホに精液をぶっかけている主人公とか、盗撮のために女子便所に忍び込んでいて、そこで遺棄された新生児を見つける男とかが出てきてけっこう気合になってくるのだけど、この人たちのことを最終的に好きになるというか、人間はどっかしら屈折があったりするのだけど、みんなそれはそれとして善性があったり、誰かしらの命をつなぐ大事な役割を果たしたりする(果たすことができる(かもしれない))ということに思い至ったりするのがあり、わりとそのへんがもっと勧善懲悪寄りだった00年代らへんのそれ(というカテゴライズや認識は死ぬほど雑なんだけど)と違うなあと思う。
あとは文字がめっちゃ書いてあるコマと、文字が書いてないコマ(くえんの住居までの道のりとか)とでページめくるスピードが変わってくるのが、『千と千尋』のなんかDOOMとかのFPSみたいな視点になる場面あったと思うのだけど、あれっぽい効果をヴィデオなしにやってる感じが、漫画という表現方法を使いこなしてる感あるのと、文字がない場面は絵に没入できる感じが、催眠音声の無音パートぽい。
橘はやとがうれしそうにしているコマはうれしい。最初のほうのページから。
プリントを渡すことを口実に島を巡っているときとか。
文字の中に含まれる算用数字が横倒しになっているのを見て、永井祐が短歌のなかで算用数字を全角縦書きにして、それが現在そこそこ普及しているみたいなことが、今後起こるような気がした。
https://gyazo.com/dd8c817bf664200b84b7b50925e5f06b https://gyazo.com/0e998e76fb7c15cc4e0d88383dc786ad https://gyazo.com/e9aff04766dfcd5def13dd5227319062 https://pbs.twimg.com/media/EpGEHs3VQAwMcz8.jpg https://pbs.twimg.com/media/EAvBBEyVUAE4-1v.jpg
↑50%はふつうに縦中横し忘れかもしれない・3桁だともともと横倒しが普通だったりするか?
縦書きの際は漢数字にするのが本来と言われたり、縦中横したりもあるけれど、この横倒しの記法をあえてやっている可能性があるかもしれないし、あえてやっているわけでなくても、逡巡なくぶつけられると、同じ記法を使うことが怖くなくなったりもするし、あえて真似したくなったりもするものだ。
まわりの人がいい人ばっかりっていうか、橘はやともくえんも拒絶されることなく受け入れて後押ししていく感じがあり、いつの間にか読者もその一員になって応援している感じは、電車男スレの住人たちや、『アイカツ!』の感覚だったりして、その感じは、はやとが4光年先の場所でくえんの住居への道のりを行くときの、信楽焼のたぬきの優しげな目だったり、応援メッセージの書かれた鳥居だったりに具現化してきたりする。
もしくは『コオリオニ』の最後のおまけ漫画を読んで安堵するときや、タイタニックの最後の最後で主人公とヒロインの間でかわされるキスを、乗客乗員みんなが拍手で見守るシーンの感覚に近くて、それはカーテンコールの概念なのだけど、世の中のだいたいの物語がカーテンコールにするところを、まだ投げ出さずに執拗に物語の本編にし続けるところが、この作品の特異なところだと思うし、商業だとなかなかできないことなんじゃないか(これだけのアイデアがあれば、もっといくつかの作品やシリーズに分割したりして、一本の大作にはならなかったのではないか)とも思う。
個人的には、町田ひらくの短中編集『幻覚小節』を大学受験のために出た名古屋のヴィレッジヴァンガードで買って、帰りの汽車のなかで読んで衝撃を受けて、また三浦靖冬の『とわにみるゆめ。』を読んで衝撃を受けて、いまでもいちばん好きな漫画だし、『君の名は。』を見たときもまず『とわにみるゆめ。』を連想した感じなんだけど、その状況下で読む本作は、わりとアップデートの観念が強い。
あとは華倫変『スウィートハネムーン』も。
それらの作品が(紙幅の都合もあるだろう)到達しきれなかった遠いところに本作が到達している感じは、まさに『出会って4光年で合体』の「4光年」という題名やテーマそのものという感じがしている。最果ての最果てへと進み続けた到達点という感じ。
前述の先行作品への批評があり、それを土壌としてアップデートされるものであるなあとしみじみ思う。
たまにあるこの顔とかの描き方↓は津野裕子(『鱗粉薬』『一角散』など)ぽいと感じる。
https://gyazo.com/91c76b8cd438d7727eb03e58a4ffe9c5 https://gyazo.com/f7d430bebce8308bfe968e41fd6cb3f5
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斯くしてわたしはこの作品を読んでボロボロに泣いてしまって、武市半平太のペニスになったのだけど、それのおかげでうつ状態らしき症状が改善した。
セックスシーン読んでこんなに泣くかよ、みたいな状態になってたし、「よかった…よかった…」って迷子を見つけたときの大人みたいになってた。
そして、「泣ける映画を見て泣いてスッキリする」みたいなことの実績解除となってしまった。
泣ける映画を見て泣いてスッキリするみたいなのを、射精産業に比喩したりするのはよくあるけど、登場人物がやたらと号泣するアニメ映画を見たことがあり、あれは射精シーンを集めた動画みたいなもので、人間にはもらい泣きという機能があるし、射精に関しても、AV男優の射精を見るともらい射精したりするのがあると思う。
(泣くレベルの感動はあったとしても、実際に)漫画読んで泣くとかこれまでなかったし、涙もろくなったな。老いたな。と思う。
それはそれとして、泣くことでホメオスタシスを得られる絶好のタイミングでこの作品を読めて、現実的にだいぶ助かったというのがある。
救いがある物語、というかこの形式の作品でハッピーエンドな物語を読めるというのは、前述の『幻覚小節』に収録されている作品群や、『とわにみるゆめ。』、『スウィートハネムーン』とかの読後の寂寞みたいなものを何年もかかって癒やしてくれたような感覚があるかもしれない。
まずそもそも、とりわけロリータ・ポルノ・コミックはストーリー重視だと(ていうか原典の『ロリータ』の時点で)悲劇的な終局になりがちなのがありつつ。
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土曜日にチャットで責めた人に対しては、スシローの持ち帰りずしを奢ることで禊にしようと思って、スシローの持ち帰りずしを奢った。スシローはメッチャ混んでても、テイクアウトはネットからの注文で意外と早く15分とかで作ってくれたりする。
人に怒りをぶつけると、3000円ぐらいが寿司代として吹っ飛ぶということを心と体に刻んでおきたい。
(とはいえ、上記は二人前の値段なので、半分は自分が食ってて、1500円しか出してないんだな、実際。)
(しかも散々人を責めたあとに寿司奢ったりして優しくするのはDV男の挙動という感じがして嫌だなと思う。)
絵の話もすると、他の登場人物に比べて、くえんを描く際の筆致のすごさがあるというか、それは執筆エネルギーや執筆時間を圧縮するための実利的な目的なのかもしれないのだけれど、くえんの、見た瞬間ハッと息を呑むような美しさや迫力を読者も追体験させられるのがある。
とはいえ背景の描き込みもすごいので、節約というよりは意図的にやっている感じもするというか、もっというと背景専門のアシが描いてそうな背景と感じる。花の描き込みとか。
良いコマが出てくる瞬間がわかるというか、このページめくったら、感動的で壮大なコマがあるのだろう。と思ってめくったページに実際1ページまるごとぶち抜きの描き込みの細かいコマがあったりして、作品と息が合ってくる感じがしてくるのもあった。
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みんなが少しずつやさしさを持って、運命をつないでいく様子がこの作品には描かれていて、それは子を産んで遺棄しながらもタオルを敷いて少しでも生存確率を上げようとした生みの親の些細な行動だったり、それを見つけて胎児だと認識して面倒を見て警察に届けた盗撮犯の谷川も、「隣の人がちゃんと幸せになれますように」と願ったときの橘はやとも、濁流に流される犬を見つけて自らの命を顧みず川に飛び込んだときの橘はやとも、橘はやとがもしも寿命を全うすることなく、新たに愛する人もいないようであったら蘇生して連れてきてくれと頼んだくえんも、ギリギリセーフとかいいながらその通りにした上位存在Cも、それぞれが命をリフティングみたいに繋ぎながら起こしていった奇跡を、抑制を効かせながら描き切っている。と感じた。ここ、ちゃんと伝わるように言えてるか不安ですが。(なんか「奇跡、感動の作品!」みたいなことを言いたいわけではないのけど、それっぽい言い方になってしまっていてミスってる気がする……)
読者も同様に、「ここで終わらずに続いてくれ」と念じながら最後のコマまでたどり着く。
熱砂のなかにボタンを拾う アンコールがあればあなたは二度生きられる
/平岡直子『みじかい髪も長い髪も炎』
一旦終わり。