黙談には奉行問題自体をゲームに取り入れた
奉行を、
(たとえ気が進まなくても)やらざるを得なくなったりする。
譲ったり手放したりしなくてはいけない場面もある。
奉行を引き受ける瞬間、あるいは、譲ったり手放す瞬間がドラマティック。
奉行問題そのものを楽しめる構造を目指したのが黙談。 もしどこかのステージで楽しめなかったら、次のステージで他メンバーと協力の過程でケアされる可能性が残される。
奉行は、奉行というロールを引き取った(引き取りたくなった/つい引き取ってしまった/いつも引き取りたくなる)彼/彼女の課題かもしれないが、同時に、ロールをその彼/彼女に引き取らせたメンバーも、いまこの場で起こっている現象の構成に奉行本人と同じくらいには参加している。
奉行問題が語られるとき、奉行以外のメンバーの課題は後景化しがち。
黙談では、固定しかかるロールがシャッフルされる場面が幾度となく訪れる。
ここでのロールは、奉行だけとは限らない。
高い頻度でのロールのシャッフルは、そのテーブルを囲む$ N人の関係を厚くさせる。
$ Nはプレイ人数。3ないしは4ないしは5。
途中で1人だけが抜けても、関係の厚みは元に戻るし、1人だけが加わっても、やはり関係の厚みは元に戻る。
グループ内の積み上げられた関係は、(よくも悪くも)一度リセットされるということ。
たとえその1人に、どんなに周囲への影響力が小さいように映るのだとしても。