キーワード:小咄
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『江戸小咄辞典』(1965年)にしたがえば、小咄とは「話が短く簡潔な表現が特色であり、単なる滑稽譚ではなく、作者の鋭いうがちや見立てがその生命であり、軽妙洒脱な通の文学である」。つまり、それはナラティブにおける孤島のような存在であり、モジュール式の電子楽器をネットワーク状につないで複合的な楽器をコンサートのつど作成したチュードアの演奏スタイルとも呼応する語りのフォーマットである。そもそもジョン・ケージが得意とした、さまざまな互いに無関係な小咄のコレクションを作って、それを朗読するというパフォーマンス形式は元を辿れば、チュードアの発案であったことが明らかになっている。また「小さな話」という意味合いにおいて小咄は、イタリアの歴史学者カルロ・ギンズブルグが唱える、歴史をトップダウンで俯瞰しながら語るのではなく、大きな権力や出来事と比べると取るに足らないと思われがちな些細な出来事や人物からボトムアップで特定の時代の相貌を浮かび上がらせる「ミクロストリア(microstoria/microhistory)」を文字通りに訳した言葉としても理解できるだろう。そのため、クロニクルの語り口として「軽妙洒脱な通の文学」を採択することは、ややもすれば俯瞰の幻想を抱かせがちな年表という記述形式の傾向を反転させる契機を含んでいる。唯一の懸念は、小咄として語られる歴史が漢字の字体通り、口から出まかせになってしまうことである。