キーワード:ヴィルチュオーゾ
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アントナン・アルトーの『演劇とその分身』を読んで「ヴァーチャル・リアリティ」という言葉に出くわす少し前のチュードアは「ヴィルチュオーゾ」という概念をとても気にかけていた。それは特定の楽器の演奏がすごくうまい名人のことだが、まさにそのようなピアニストとして知られていたチュードアの当時のノートや手紙にはこの言葉に取り憑かれ、その意味を理解することなくしてはピアノ演奏に戻れないという文言や、この言葉を研究していた軌跡が記録されている。そして「ヴィルチュオーゾ」という言葉を少しでも探ればわかるのは、それが「ヴァーチャル」と同じ語源を持っていることである。この二つの言葉の共通の祖先は「virtus(ヴィルトゥス)」という、主に遠隔で効果を作り出す力を意味するラテン語の言葉だった。これはとりわけ十七世紀イギリスの科学書に頻繁に登場する言葉だが、それまで同じような遠隔で働く作用をなざすために用いられてきた「influentia(影響)」という言葉の言い換えとして多用されるようになった。なぜそのように言葉の装いを新たにする必要があったかと言えば、当時ヨーロッパ大陸の方では、世界のからくりを全て接触に基づく物理的な機構として思い描く機械論という哲学が流行っていたからだ。その最先端の思想にかぶれることで、遠隔で働く作用をそれまで名指していた「影響」という言葉が胡散臭いものとして叩かれるようになった。ところがイギリスだけは事情が別で、遠隔作用の術の研究が盛んに繰り広げられていた。イギリスの特殊事情はフランスやイタリアとは違ってプロテスタントの活動に寛容である国教会という独自の宗教制度を持っていたことによるが、そのことは転じて十七世紀イギリスをキリスト教が内部に抱えた分裂をめぐる内乱の時代にも仕立て上げた。1649年にはカトリックになびく無能な王を憂いたプロテスタントたちが結集して処刑し、権力の座につく清教徒革命が起こる。プロテスタントの純粋主義である清教徒(ピューリタン)たちは、権力の座につくやいなや文化の弾圧をはじめる。シェイクスピアのグローブ座などロンドンの劇場が閉鎖に追い込まれる中、それまでのイギリス王家が金に物を言わせてヨーロッパ全土から優秀な音楽家たちを集めて作ったCrown’s Musicという王立の音楽隊も解散を命じられる。その結果、凄腕の音楽家たちがとつぜんフリーランスになって街に放たれる。そして彼らは稼ぎを得るために、それまでやったことがなかった実践にやむを得なく手をつけだす:一般市民向けのコンサートだ。そこで人気を集めたのは楽器を用いて観客を魅惑する名人芸であり、そのような能力を持った音楽家には、遠隔で働く作用を作り出せる者という意味の「ヴィルチュオーゾ」という称号があてがわれた。