啓蒙主義2.0
理性はほかの目的を達成することを意図した適応の副産物であるに違いない 理性はクルージに依存している(埋め合わせ、ありあわせのもので一時的に対応している)
啓蒙思想1.0は理性が正しく機能するのに必要な外部足場のおおくを外すことになってしまっている 確証バイアス:仮説と整合性がとれる肯定的なものだけを探しやすい。否定的なものに目が向きづらくなる
否定的要素を考えられる能力
ゲッペルズ 宣伝は必ず本質的に単純で反復的でなければならない。知識人の反対にも関わらず問題を単純な言葉に変え、その単純な形でずっと繰り返すことが重要 容易さは理性の敵
銃を禁止するために銃を持つのは文明を野蛮へと堕落させるもの
啓蒙思想のもとにリベラルな民主主義を発明したが、スピードのとりこになり、慣習を破壊し、集中力を損ない、些細な情報までも消費に強いるファストライフというウイルスにかかっている。 自らをスピードから解放していく必要がある。落ち着いた合理的熟慮をすべき。理性の防護はそれを可能にする条件を正しく理解し、条件を改善する方法を熟慮し、その改善をもたらすための集団行動に取り組まなければならない。ファストポリティクスからスローポリティクスに移行すべき
個人主義ゆえに行き詰まった啓蒙思想1.0の反省から、集団行動として2.0を起動させるために政治の復権が求められ、集団として合理的な意思決定を可能にする熟議のプロセスが要請される
啓蒙思想といえば人間の理性を強調し、理性に基づく合理主義的な社会の改革を主張したもの。
人間の理性は単独においては力弱い。理性は個人のものではなく社会事業。正気を取り戻すためには一人ひとりがもっと考えろっていうのが正解。しかしそう簡単ではない。より重要なものは合理的思考と計画に役立つ制度的環境を整備すること。そうしたナッジ(ちいさなきっかけ)によって人々の行動を変容させる。もう一つはスローポリティクス。理性には時間がかかる。理性を政治に還元するための間の設計をより考えていくべき