ウィーン分離派
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なんでなんだろう?古いものが嫌いなのかもしれない。
ただ自分も古くなっていく存在なのに
グスタフ・クリムトが「分離派」を結成した1897年。それはクリムトが「クリムト」となる道の始まりだった。絢爛たる「黄金様式」や私生活における女性たちとのエピソードから、クリムトには華やかなイメージがある。しかし、「自分ならではの様式」を求めていく道は、同時に保守的なウィーン美術界との「戦い」の道でもあった 19世紀後半のヨーロッパ、とくにフランスでは印象派やポスト印象派など、新たな美術の潮流が生まれ、画家たちが「伝統」を離れて独自の道を歩み始めていた。しかし、保守的な団体クンストラー・ハウスが支配的なウィーン美術界では、未だに数百年前からの「伝統」が重んじられており、20代のクリムトもこの風潮に従うひとりだった。伝統的な技法で神話などの主題を描き出した装飾画は高く評価され、26歳のときには皇帝から勲章を授与されている。 そのいっぽうで、クリムトは決まりきった主題をオーソドックスな技法で描くことに飽き足らず、自分ならではの「新しい表現」を求めるようになっていた。そんななか、1894年にウィーン大学講堂の天井画の仕事が舞い込む。そして2年後に提出した下絵が激しい議論を巻き起こす。クライアントから与えられた「医学」「法学」「哲学」というテーマを、伝統的な寓意表現ではなく、独自の解釈によって描き出したからだ。 この一件を通じて、クリムトは「新しい表現」を認めないウィーン美術界の閉鎖性をはっきり感じ取る。下絵提出の翌年、クリムトは同じく保守派に反発する若手芸術家たちとともにクンストラー・ハウスを脱退。新たなグループ「ウィーン分離派」を形成した。
アテナは、ギリシアの知恵と戦いの女神である。神話では数多の英雄たちを導く存在として登場し、美術でも武具をまとった女性の姿で表現されてきた。美術で「女神」というと、ヴィーナスのような美しさ、たおやかさを備えた女性像が連想されやすい。しかし、この暗い背景の中から浮かび上がる、金色の鎧兜を身に着けた女神はどうだろう?
頭をすっぽりと覆う冷たく滑らかな金色の兜。その下から覗く目は、こちらを凝視して瞬きひとつしそうにない。赤い唇も一文字に引き結ばれ、冷たく近寄りがたい印象をより強めている。そして、片手は長柄の武器に添えられており、何が起きようと毅然として、揺らぐことも退くこともないだろう。
ここにいるのは、美しくたおやかな、美術において理想的な女性ヌードを描く口実として利用される「女神」などではない。信じる者には手厚い庇護と導きを与え、そして敵対する者には容赦なく罰を下してきた、頼もしくも、怒らせれば男神以上に恐ろしい女「神」である。
クリムトは、そんな彼女を古代ギリシアの世界から現代へと蘇らせ、「新しい芸術表現」を求め、戦う「分離派」を守護し、導く存在として位置づけたのだ。視線を女神の胸当てに移すと、舌を出して笑う怪物ゴルゴンの装飾と視線がぶつかる。表情も描かれ方もどことなくコミカルで、女神とは対照的だが、「新しい表現」を理解しない人々や、彼らがしがみつく「伝統」を笑い飛ばそうとしているように見える。
「お前たちがどんなに批判しようと、我々『分離派』は、決して揺らがず、屈しない。媚びたりはしない。毅然と顔を上げて、自分の道を、『新たな芸術表現』を求め、歩き続けてやる」。画面からは、そんな声が伝わってくるようだ。
どんなジャンルであれ、自ら新しい道を切り開き、進み続けることは容易ではない。この《パラス・アテナ》は、まさに新しい道を歩み始めたクリムト達の決意の表明と言えよう。
《ベートーヴェン=フリーズ》──「総合芸術」への志向
1898年から1905年までの7年間で、ウィーン分離派が開催した展覧会の数は23回にのぼる。そのなかで、彼らは自身の作品を発表しただけではない。日本やフランスなど、同時代の外国の美術の紹介・交流も実践し、自らの糧としていったのである。
また彼らは展覧会という形式を応用し、「総合芸術」と呼ぶべき試みにも挑んでいた。その最初の例が、「ベートーヴェン」をテーマに1902年に開催された第14回分離派展である。
まず、メンバーのひとりが設計した展示室の中央に、ドイツの彫刻家マックス・クリンガーが制作した巨大なベートーヴェン像を据えた。さらに他の分離派のメンバーたちが、絵画や家具など、それぞれ自分の得意とするジャンルで「ベートーヴェン」に捧げる作品を制作、像を囲むように展示。クリムトが手掛けたのは、会場をコの字型に囲む壁画大作《ベートーヴェン・フリーズ》(1901-02)である。
グスタフ・クリムト ベートーヴェン・フリーズ(部分) 1984(原寸大複製/オリジナルは1901-1902) 216×3438㎝ ベルヴェデーレ宮オーストリア絵画館 © Belvedere, Vienna, Photo: Johannes Stoll ※「クリムト展」出展作品
フリーズとは絵巻物のように横に連続する作品を指す。ここではベートーヴェンの「交響曲第九番(第九)」をモチーフに、黄金の甲冑を身に着けた騎士が、幸福を求めて敵対する力へと立ち向かい、楽園へとたどり着くまでの物語が、描き出されている。場面は大きく三つに分かれているが、その全長は合計すると34メートルにもなる。
このうち物語のフィナーレ、「歓喜の歌」として知られる第四楽章に相当する場面(右壁)を見てみよう。楽園の天使たちが花を手に、高らかに「歓喜の歌」を合唱する中、裸の男女が抱き合い、接吻を交わしている。これは、第4楽章の歌詞に含まれる「この接吻を全世界に!」をそのまま絵画化したものである。
全体を満たす黄金の光、そして抱き合う男女の頭上の炎のようなモチーフとも相まって、画面全体からはまさに「歓喜」のエネルギーが全世界に向けて放射されている。しかも展覧会のオープニングの日には、作曲家グスタフ・マーラーが、フリーズのベースとなった「第九」の第4楽章を自らアレンジし、展示室内で演奏している。
こうして、展示室の設計(建築)、彫刻、絵画、そして音楽――あらゆるジャンルの芸術が、枠組みを超え、「ベートーヴェン」というテーマのもとに結びつき、壮大なひとつの「作品」となった。
ウィーン大学のために描いた《医学》や、《ベートーヴェン=フリーズ》など、クリムトの作品はしばしば批判の対象になったが、それでもわずかでも賞賛してくれる人はいた。だからこそ、批判や中傷にさらされながらも、歩き続け、「戦い」続けることができたのだろう。結果、クリムトは、独自の画風を持った画家として、歴史に燦然と名前を刻んだ。