松岡正剛
複雑な言葉が必要、そうでないと日本の隠るるものを提示できない
日本が持っている曖昧性。漠然と指定できる。そうではないものをずっと持っていたように思う
曖昧性のよさがなくなっていった。
都市にぎゅうぎゅうとなったからアートを置いていくところがなくなった
日本の稼ぎと勤めがある方が重要
日本の神々は一人で国を作った。
間は近づきすぎても近づけないところが間
そこに2つで一つとなる
面影を佇む。面影を感じる、再来させる必要がある
銭湯を復活させるのではなく、銭湯の面影を感じられるかが重要
面影になった情報をどう編集するか
多数派が嫌い、大衆もない、数を多く取る意識がない
ガウスの言葉、墓名ひ
あなたしか分かってない?っていうのをそれでもいいと答えた話
希少性、少なすぎること、儚いこと、長続きしないこと、維持しようとすると誤解される、こういうような危険度の高いことに思想を持つべきかもしれない。際どいのところ。
わかりやすくしない、わかりやすくできない。わかりやすくないまま受け取れない、クラブが大事
CHATGPT
松岡正剛(まつおか・せいごう, 1944–2024)は、日本の編集者/著述家にして「編集工学」を提唱した知の組織者。70年代に出版社・工作舎を立ち上げ、伝説の雑誌『遊(ゆう)』を創刊。理科系と文科系、古典と前衛、学術とサブカルを同じ誌面で接続し、“[関係づけることで世界を読み替える”編集の実践を見せた人です。晩年にかけては、書評サイト「千夜千冊」を通じて古今東西の書物を独自の文体で読み替え、その背後でつながる文脈のネットワークを提示。 角川武蔵野ミュージアムでは初代館長として、本棚を「都市」や「街路」に見立てる展示(Edit Town/本棚劇場)を構想し、来館者に“自分の連想で本を渡り歩く”体験を提供しました。
雑誌『遊』の編集では、特集テーマを「呼吸+歌謡曲」「電気+脳髄」など異分野の連結として立て、テキスト・写真・図版・見出しを“連鎖的に組み合わせる”ページ設計を徹底。誌面そのものを「仮想的編集体」に仕立てる手つきは、今日のナレッジグラフや情報建築にも通じます。こうした実験はのちのWeb時代のハイパーテキスト感覚(非線形に行き来する読書)とも響き合い、2000年開始の「千夜千冊」へと拡張しました。(千夜千冊(https://1000ya.isis.ne.jp/1717.html "1717夜 『ライティング・スペース』 ジェイ・デイヴィッド・ボルター − 松岡正剛の千夜千冊"))