東浩紀
そもそも僕は、いまは「知」が停滞している時代だと思っているんです。大多数の人とは異なる時代認識だと思いますが。 哲学者の廣松渉に『世界の共同主観的存在構造』(1976年)という本があります。その本の冒頭で、廣松は次のようなことを言っているんですね。 20世紀前半は、科学において次から次へ華々しい変革が起こった。数学なら集合論、物理学であれば量子力学や相対性理論などです。ところが、それから半世紀近く、どの領域でもあまり世界観の革新は生まれなくなった。そこを突破するために自分は新しい哲学をやるんだ、と。
東 そうです。廣松は触れていませんが、1970年代は学問の限界がさまざまな領域で指摘された時代でした。
その前の1960年代までは、「未来学」なる学問があって、バラ色の未来予想がなされていた。いまでいう「シンギュラリティ」のような議論もすでに出ていました。このまま科学が発展していけば、あと何十年かで人類は太陽系を飛び出すこともありえるんじゃないかと、それぐらいのことが言われていた。 ところが実際には、裏側でさまざまな社会的矛盾が蓄積していました。
1960年代末になると、それらがどっと表面化してくる。環境問題やエネルギー問題も意識されるようになる。このままだと明るい未来はない、科学がすべて解決してくれるというのは楽観的すぎた、という認識が1970年代頃にはあったわけです。
問題はそこが停滞していることです。核融合の実現はまだまだ先です。いまは実用化の可能性がかすかに見えてきたという段階ですよね。
では、この半世紀、いったいなにが「進歩」したのか? 冷静に見れば、僕たちが本質的に手に入れたのは、けっきょくインターネットと携帯電話ぐらいなんです。
この半世紀、情報技術やコミュニケーションはたしかに飛躍的に進歩した。世界中の人がいつでもどこでもつながれるようになった。半世紀前には夢にも想像できなかったことが、簡単にできるようになった。
でも、それだっていまは停滞期に入っているかもしれない。
ツイッターもフェイスブックももうできてから20年です。そんなネット(ウェブ2.0)を超えようとして、最近でもウェブ3.0だ、ビットコインだ、NFTだ、DAOだといろいろ言われていましたが、けっきょく新しい世界観を打ち出すには至っていない。
ブロックチェーンはたいへん素晴らしい技術だと思いますが、いまのところは新たな投資対象(暗号通貨)がひとつ増えたということにすぎなかったりする。