友敵理論
政治の本質は「友」と「敵」を区別する行為にある
シュミットによれば、人間の社会においては、美醜や善悪など多様な価値基準がある中で、政治の次元は特に「友」と「敵」の区分によって特徴づけられます。つまり、政治は「われわれ(友)」と「彼ら(敵)」を識別する決断によって成立するという考え方です。
ここで言う「敵」は私人としての敵ではない
シュミットのいう「敵」とは、私的・個人的に憎悪すべき敵ではなく、「政治的に対立する集団」もしくは「公的領域の対立者」としての敵です。互いに価値観や利益を一致させることが難しく、政治的に対立し、最終的には武力衝突などを通じて自己保存が脅かされる可能性を伴う存在が「敵」となります
議会制民主主義やリベラリズムへの批判
シュミットは、当時のリベラルな議会制民主主義は「政治的決断を回避し、あらゆる対立を調停しようとするあまり、最終的な判断や決断力を喪失しがちだ」と批判しました。政治的な根幹をなす区分(友‐敵)を曖昧にしてしまうことは、社会秩序や国家のアイデンティティの危機をもたらすと考えたのです。
政治とは対立可能性の顕在化
シュミットにとって、政治は本質的に「対立」が内在する領域です。そこでは交渉や駆け引きも行われますが、最終的には対立が先鋭化した場合、暴力的な衝突すらあり得る次元です。その意味で、政治は「実存をかけた真剣な区分」が生じる場といえます。
主権者の決断
シュミットのもう一つの重要な議論に「主権論」があります。「主権者とは、例外状態において決断を下しうる者である」と定義し、緊急事態(例外状態)のときに、誰が合法性や秩序を維持するのかを決定する権限を持つかが政治の核心となります。友‐敵区分と主権の概念は相互に関連しており、誰が「敵」とみなすのか、そのときにどのように権力を行使するかを決める主体(主権者)の存在が重要です。
リベラルな中立性の限界
シュミットはリベラリズムが唱える「中立性」や「普遍的な調整能力」に疑問を呈し、政治には必ず決断と対立がある以上、完全な中立はありえないと考えました。したがって、最終的には友‐敵区分の明確化が不可避であり、その決断によって秩序を保つことが必要であるとした
肯定的評価
政治や権力を「対立」と「決断」という観点から分析することで、民主主義の持つ脆弱性や実際の権力関係の露わな部分を的確に捉えたとの評価があります。
「政治とは何か」を、人間の社会的関係の本質から問うラディカルな思想として、20世紀以降の政治哲学に大きな影響を与えました。
批判・問題点
シュミットはナチ政権期に協力した過去があり、彼の理論が暴力や排外主義の根拠に利用されうる危険を内包している、という批判があります。
友‐敵区分を強調するあまり、多元的な社会・民主主義の協調や法の支配の重視を損ない、排他的・独裁的な政治を正当化しかねないという懸念が指摘されます。
現代的視点からは「国際社会」における複雑な連帯やグローバル化との整合性が疑問視されるなど、友‐敵区分に基づく政治観が単純すぎるという批判もあります。