ポストコロニアリズム
ポストコロニアリズムは二つの顔をもつ。第一に、ヨーロッパ帝国支配の終焉後に残存・再編された支配関係=「ポストコロニアルな状況」を指す歴史記述上の語。第二に、その状況を批判的に読み替える知的プロジェクト(文学批評・社会理論・歴史学・人類学など横断)だ。つまり、“脱植民地化”が終わっても、知・文化・経済の回路に殖民の痕跡が生き続けることを可視化し、被支配者の主体性と語りを回復する営みである。ブリタニカは、植民地主義の後状態とその再記述の試みを併せて「ポストコロニアリズム」と述べ、複数の近代(multiple modernities)を視野に入れる必要を指摘する。(Encyclopedia Britannica)
系譜はおおむね三段で理解される。(1) 反植民地思想:フランツ・ファノンは『黒い皮膚、白い仮面』『地に呪われたる者』で、植民が心身に刻む暴力と、民族解放後の国家形成の課題を描いた。(2) 表象批判:エドワード・サイード『オリエンタリズム』(1978)が、西洋が「東洋」を劣位に構築する知の制度を解体的に読解。(3) 学際的展開:ゲヤトリ・スピヴァク「サバルタンは語ることができるか?」(1988)が「サバルタン(下位者)」の不可視化と知の暴力を告発し、ホミ・K・バーバは『文化の場所』(1994)で「ミミクリ」「ハイブリディティ」「サード・スペース」などの概念で固定的な自己/他者の境界を揺さぶった。(スタンフォード哲学百科事典, Encyclopedia Britannica, jan.ucc.nau.edu, oxfordbibliographies.com)
理論の中核は三点。第一に言説と権力——「誰が誰をどう語るか」が現実の資源配分や制度設計に直結するという視点(サイード)。第二にサバルタン性/戦略的本質主義——抑圧される側の声は制度的に遮断されがちであり、当座の政治連帯のために“戦略的に”アイデンティティを単純化する実践もありうる(スピヴァク)。第三に混成性——支配/抵抗の関係は単純な二項ではなく、模倣や翻訳が権力を変質させる「中間領域」を生む(バーバ)。(Encyclopedia Britannica, ウィキペディア)
あわせて領域拡張も起きた。定住植民地主義(settler colonialism)は「侵略は出来事ではなく構造である」と整理され、先住の排除が恒常構造として働くことを強調する(Wolfe)。さらに今日ではデータ植民地主義が論じられる。これはデジタル資本主義が人々の生活からデータを恒常抽出し、資源化する新たな収奪秩序だとする議論だ(Couldry & Mejías)。(Cambridge University Press & Assessment, LSE Research Online)
一方で、内在的批判もある。アン・マクリントックは「“ポスト”という接頭が直線的進歩史観を温存する」と警鐘を鳴らし、アリフ・ディルリクやアイジャズ・アフマドは、ポストコロニアル理論がテクスト偏重に傾き階級や世界経済の現実を見落としうると批判した。近年はデコロニアル(ラテンアメリカ発)との対話も進み、知・権力・存在の「植民性」を解体する実践志向(大学や知の南方化など)を強めている。(Taylor & Francis, jan.ucc.nau.edu, radicalphilosophy.com, Oxford Research Encyclopedias)
VC/プロダクト文脈での示唆は明確だ。投資・規制・AIモデル設計に潜む表象の前提と抽出の回路を監査すること——たとえばデフォルトのデータセット、リスクスコア、KPI、プライバシー規範、翻訳・ローカライズの設計が、誰の声を不可視化し、どの地域から価値を吸い上げるのか。ポストコロニアル視点は、単に“多様性”を加点するのではなく、価値の流れ(誰が定義し、誰が支払い、誰が所有するか)を組み替える設計課題として提示する。(LSE Research Online)
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