シリコンバレーと宗教
https://note.com/delta_ipsilon/n/ndad87cad940c
このシリコンバレーにおけるキリスト教再興の背景には、テック業界の人々の 精神的価値観の変遷 があります。本稿ではそれを以下の3段階のモデルで整理します。
第1段階:MAGA的段階(力・成功・アイデンティティの追求)
第2段階:マインドフルネス段階(内面志向・自己への問い)
第3段階:土着の霊性段階(信仰・共同体・倫理の回帰)
(1) 第1段階:MAGA的段階(力・成功・アイデンティティの追求)
「MAGA」とは元々トランプ前大統領のスローガン*「Make America Great Again」*に由来しますが、ここでは特定の政治思想に限らず、 力や成功、明確なアイデンティティの追求に価値を置く精神風土 を指します。シリコンバレーの2010年代前半までの文化は、このMAGA的段階といえるでしょう。表面的にはリベラルで多様性を掲げる風土ではあったものの、その深層には「世界を変える」「10倍の成果を」「ユニコーン企業を創る」といった 競争的・功利的な価値観 が強く、精神面でも伝統宗教に代わって 仕事やテクノロジーそのものが信仰の対象 となっていた側面があります 。実際、ある起業家は敬虔なキリスト教共同体で育ちながらシリコンバレー移住後に教会を離れ、「スタートアップのIPOこそ至上」と熱狂するようになったと報告されています 。彼にとって 企業での成功が「より熱烈な新宗教」となり、古い信仰に代わるアイデンティティ源になっていたのです 。また別の例では、IT企業が従業員に職場を「家族」のように感じさせ、あらゆる生活ニーズ(食事、送迎、娯楽、福利厚生)を職場で満たす という「企業マターナリズム」を推し進めた結果、社員たちは地域社会や教会から切り離され、 会社こそが信仰共同体 になる現象も観察されました 。社会学者キャロリン・チェンはこの現象を「Work Pray Code(働き、祈り、コードを書く)」と表現し、シリコンバレーでは 仕事が聖なる使命となり、企業やスタートアップが“新たな教会”として機能している と指摘しています 。
この段階では多くの技術者・起業家にとって、成功や革新への欲求が 人生の軸(アイデンティティ)となっていました。エリート意識の強いシリコンバレーの文化は、「自分たちは人類を前進させる選ばれしスマートな存在だ」というアイデンティティを内包し 、その文脈では伝統宗教は知的でない過去の遺物と捉えられがちでした 。倫理の話題は盛んに議論されても、それは主にポリコレや個人のライフスタイル(例:ポリアモリーの倫理)の文脈で語られ 、根源的な善悪や崇高な目的といった宗教的テーマは敬遠されました。代わりに、一部ではトランスヒューマニズム(科学技術による人類の進化)やエフェクティブ・アルトルーイズム(科学的合理性に基づく利他主義)などが擬似宗教的イデオロギーとして支持を集め、従来の宗教に代替する価値体系を提供していた面もあります。しかし、こうしたムーブメントも究極的には個人や人類の力によるユートピア追求 という点で共通し、超越的な存在への信頼とは異なる地平にありました。
アメリカの新右翼
それでも第1段階の末期には、既に次の段階への移行の兆しが見られます。象徴的なのは2016年前後から台頭した「シリコンバレー版・新右翼」 とも呼ぶべき現象です。ピーター・ティール氏に代表される一部のテック富豪がトランプ現象に共鳴し、「自由と繁栄への脅威はリベラルなエリート秩序にある」といった主張を展開しました。ティール氏はルネ・ジラールの思想(人間の欲望は模倣によるという理論)を背景に、シリコンバレーを覆う画一的リベラル文化への反発を強めていきます 。彼は「テクノロジーと宗教(特にキリスト教)は本来、楽観主義という点で同盟関係にある」と説き 、トランプ政権への協力も厭わず行いました。その延長線上で、ティール氏らは 「西洋文明の価値観を取り戻す」**ことを掲げ始めます 。この価値観にはキリスト教的な要素も含まれており、当初は政治スローガン的に用いられた宗教の言葉が、徐々に本気の信仰復興へと繋がっていく伏線となりました。言い換えれば、 第1段階の延長線上で台頭した保守アイデンティティ運動(MAGA的思想)が、第3段階で開花する宗教回帰の思想的土壌を一部準備した とも評価できるのです。この段階から第2段階への移行は急激というより徐々に進行し、その間にテック産業内では精神面での空白や倦怠感が広がっていきました。
(2) 第2段階:マインドフルネス段階(内面への志向と自己探求)
第2段階では、 外面的な成功だけでは満たされない空虚感やストレスへの対処として、内面志向の動きが強まりました 。2010年代後半になると、シリコンバレーではヨガや瞑想、マインドフルネスといったプラクティスがブームとなり、多くの企業が社員研修に瞑想プログラムを導入しました 。Google社の「サーチ・インサイド・ユアセルフ」プログラムに代表されるように、禅やヴィパッサナー瞑想の手法が 宗教色を薄めたメンタル訓練 として広まり、エグゼクティブたちの間でも瞑想リトリート(静修)が流行しました。元Twitter CEOのジャック・ドーシー氏がミャンマーで長期瞑想修行を行った話や、エンジニアたちが**Burning Man(バーニングマン) などのカウンターカルチャー・フェスで精神世界に触れる逸話も、この潮流の一環です。まさに 「スピリチュアルだが宗教的でない」**ライフスタイルがテック業界でクールと見なされた時期でした 。
シリコンバレーの人々がマインドフルネスに惹かれた背景には、いくつかの社会・文化要因があります。第一に、 極度の情報過多と高速な業界変化によるメンタル疲弊 です。常に変化し続けるテクノロジー業界では、成功者でさえ心の平安を保つことが難しく、瞑想やマインドフルネスはストレス軽減策として受け入れられました。「あまりに情報が溢れる中で、人生の指針として宗教を求める気持ちはよく分かる」という声が日本人識者からも上がるほど、当時の業界人は 拠り所のなさ を感じていたのです。第二に、2016年前後の政治的・社会的混乱です。トランプ政権の誕生や社会の分断に直面し、多くの人が外界より自分の内面を見つめる方向へと向かいました。結果として、「自分を客観視し穏やかに保つ」マインドフルネスは一種の 避難所 となり、政治的立場を超えて支持された面があります。
企業もこの流れを後押ししました。しかし、ここには皮肉な側面があります。企業が取り入れたマインドフルネス研修は、多くの場合 生産性向上や創造性発揮の手段 として奨励され、仏教本来の倫理的教えから切り離されていました 。本来、仏教の八正道には「正しい生計(Right Livelihood)」すなわち倫理的職業観が含まれますが、シリコンバレー流のマインドフルネスはそうした倫理面には触れず、むしろ「いかに効率よく働くか」に偏りがちでした 。例えば、ある女性社員はスタートアップでマインドフルネスに出会ったものの、その後「資本主義的な生産至上主義に自分が囚われている」と悟り退職。仏教に改宗して本当に価値観の合う仕事に就いたといいます 。彼女は「企業のマインドフルネスは、自分の価値を生産性で測るという執着をむしろ強化しかねない」と指摘し、そこから自由になることで初めて仏教の真理を実感できたと語っています 。このように、 マインドフルネスだけでは人生の「Why(なぜ生きるのか)」に答えてくれない という限界を感じる人も出てきました。加えて、瞑想やサイケデリック体験(シリコンバレーではマイクロドージングといった幻覚剤の自己実験も流行していました)によって一時的な悟りのような感覚を得ても、それを持続的な人生の指針に結び付けるのは容易ではありません。多くの技術者たちが**「瞑想もドラッグも試したが、心の穴は埋まらない」**と感じ始めたのです 。
第2段階から第3段階への移行を促した直接の契機として、 パンデミック以降の変化 も見逃せません。COVID-19による長期のリモートワークや社会的孤立は、人々に共同体の重要性を再認識させました。家で瞑想アプリを開いて孤独を紛らわせる生活よりも、リアルな人々と支え合う場への渇望が高まったのです。こうした状況で、「教会」という伝統的コミュニティが逆に新鮮な意味を帯びてきました。事実、前述のミシェル・スティーブンス氏はイベント参加者から「人生にポッカリ穴が空いたようだ。マッシュルーム(幻覚キノコ)もモリー(MDMA、ドラッグの一種)もサイレントリトリート(黙想合宿)も試したが満たされない」という声を多数聞いたと言います 。そして彼らに「もしかすると 信仰こそがその穴を埋める答えではないか 」と提案すべく、ACTS 17の活動を続けているのです 。要するに、 内面的探求のブームはピークを迎えると、やがて次なるステップとして「もっと確かな拠り所」を求める動きに繋がった といえます。
(3) 第3段階:土着の霊性段階(伝統的信仰・共同体・倫理への回帰)
第3段階では、シリコンバレーの人々が 伝統的な宗教(特にキリスト教)という「土着の霊性」に立ち返る 現象が現れています。「土着の霊性」とは、その土地の文化や歴史に根ざしたスピリチュアルな伝統という意味合いです。アメリカ合衆国においてキリスト教信仰はまさに国の“土壌”とも言える存在です。古くは清教徒の入植に始まり、各地に教会共同体を築いてきたキリスト教は、現代アメリカ文化の深層にも流れています。実際、 一般に経済的に豊かな国ほど宗教心が薄れる傾向にある中で、米国は突出して宗教心が強い外れ値である ことがピュー研究所の調査から分かっています 。下図は一人当たりGDPと宗教の重要性の関係を示したものですが、右上に飛び出している黒い点がアメリカです(「宗教が人生で“非常に重要”と答えた人の割合」が他の先進国より高い) 。このことからも、 アメリカでは豊かさと信仰が両立し得る文化的土壌 があるといえます。
図2:豊かな国ほど宗教心は薄れる傾向があるが、米国は顕著な例外(2011–2013年、ピューリサーチ調査)
(縦軸は「宗教が人生で非常に重要」と回答した成人の割合、横軸は1人当たりGDP(購買力平価)。米国(黒丸)は高所得にも関わらず宗教を重視する人が多い。)
シリコンバレーの技術者たちにとって、キリスト教は決して未知の輸入思想ではなく、多くの場合 幼少期から社会の随所で接してきた身近な価値観 です。たとえ本人が信徒でなかったとしても、「聖書に由来する慣用句」や「キリスト教的倫理観」は日常会話や教育に染み込んでいます。したがって、瞑想や東洋思想よりも 心理的ハードルが低く、故郷に帰るような安心感 すら伴い得ます。この「文化的親和性」は第3段階でキリスト教が再評価された大きな理由の一つです。山口周氏も「日本人には奇異に映るかもしれないが、米国は週数万人を収容するメガチャーチが各地に建ち毎週満員になる特殊な国だ」と指摘し、合衆国文化において宗教が特別な位置を占めると解説しています 。シリコンバレーは長らく例外的に世俗化していたものの、元来の文化的バックボーンであるキリスト教が**「土着の霊性」として機能しうる土壌**は常に存在していたのです。
また第3段階では、マインドフルネス段階で欠落していた**「共同体性」と「倫理観」 が重視されるようになります。キリスト教の教会は、単なる座禅会や自己啓発セミナーとは異なり、週に一度人々が顔を合わせて祈り合い支え合う 共同体(コミュニティ)**です。これはパンデミック以降、人々が渇望していたものと一致します。実際、前述のACTS 17やEpic教会の活動を見ると、 テクノロジー業界で感じがちな孤独を埋め、共通の価値観を持つ仲間と語り合える場 を提供していることが分かります 。ACTS 17のイベントには信者でない人も歓迎され、ビール片手に誰もが自由に議論できる空気が作られています 。その一方で、希望者には祈りのリーフレットが配られ、イエスの言葉が紹介されるなど、ゆるやかに信仰への入り口も用意されています 。 緩やかな包摂性と確固とした共同体性 の両立こそ、キリスト教が持つ強みであり、マインドフルネスだけでは得がたい部分でした。
倫理観についても、キリスト教は明確なフレームワークを提供します。例えば、ACTS 17を創設したスティーブンス夫妻は「テック業界のエリートにもイエスを知ってほしい。そのミッションは一見クリスチャンとして逆説的に思えるかもしれないが、 富裕で力ある者もまたイエスを必要としている 」と述べています 。これは、成功者にこそ謙虚さと奉仕の倫理が必要だという価値観の表明です。またトレイ・スティーブンス氏はイベントで「 教会の外の仕事にも神聖な価値がある 」と強調し、宗教改革者マルチン・ルターの思想を引いて「技術者や起業家としての職業も神から与えられた召命であり、天の御国を地にもたらす使命の一部である」と語りました 。これはテクノロジー開発を倫理的に位置づけ直す試みです。シリコンバレーでは「世界を変える」というスローガンの裏で、しばしば金銭的成功や自己顕示が動機となっていましたが、キリスト教的枠組みでは**「隣人愛」や「神の栄光」のために働く という利他的・超越的なモチベーションが提示されます 。実際、テクノロジーが医療・教育・環境問題で人々を助けるなら、それはキリスト教の中核的価値である「隣人愛」の実践に通じるという指摘もあります 。さらに創造性についても、キリスト教では「人間は神の似姿(イマゴ・デイ)として創造性を与えられた存在」と捉えるため、技術革新も本来は神から授かった創造性の発露であり得るというポジティブな位置付けが可能です 。このように、キリスト教はテック業界の人々に 道徳的な羅針盤**を提供し、自分たちの仕事をより大きな文脈で意味づけする術を教えてくれるのです。
対照的に、第2段階で流行したマインドフルネスや禅的思想は、個人の内面的安寧には寄与しても、 明確な倫理規範や共同体的つながりを提供するものではありませんでした 。むろん仏教や禅にも共同体(僧伽)や戒律がありますが、シリコンバレーで消費されたマインドフルネスはそうした文脈を排除した「機能限定版」だったのです 。その意味で、 キリスト教への回帰は精神的欲求の補完現象 と見ることができます。すなわち、自己啓発的アプローチで満たせなかった部分を、伝統宗教が再び埋め始めたということです。
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